朗読して味わう玉露の官能。日本茶を愛した夏目漱石の名作5選

お茶好きで知られる文豪、夏目漱石。『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『草枕』など数多ある漱石の小説には、なんどもお茶の描写が出てきます。ひとしずくに凝縮された玉露の甘み、親子関係を象徴する宇治茶の冷たさ…。漱石のお茶への思いが表れている5作品をご紹介します。

茶菓子と本の写真

より情緒を感じるなら、“音読”!
心地よい音の流れで、お茶の官能を味わおう

より情緒を感じるなら、“音読”!
心地よい音の流れで、お茶の官能を味わおう

夏目漱石の著作には、お茶を飲むシーンがよく出てきます。

なかでも『草枕(くさまくら)』はお茶のシーンが多いことで有名です。まずは下で紹介する文章を声に出して読んでみてください。文字を見ているだけだと、小難しい漢字が並んでいると思うかもしれませんが、音で聞くと心地よく聞こえてきませんか? これは、美文(びぶん)という近代文学の文体系統の一つを意識して書かれたもの。美文は、耳で聞いた心地よさを重視する文体で、音やリズムが流れるように響き、うっとりするような聴き心地です。『草枕』の主人公たち3人がお茶を飲むというそれだけの場面が、なんとも優美です。

また、美文がさらに楽しめるのが『虞美人草(ぐびじんそう)』です。母娘がお茶を飲む場面。冷めきった出がらしのお茶なんて、あまりおいしくないだろうに、それを表現する言葉の心地よい響きといったら! 文豪、夏目漱石のテクニックに脱帽するばかりです。

草枕
草枕
草枕の内容
草枕の内容

「智に働けばが立つ。情にさせば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」からはじまる『草枕』は、世間の住みにくさを嫌い旅に出た青年画家を主人公に、非人情の境地を描いた夏目漱石の初期の作品です。

引用したのは、主人公の青年画家が、とあるお寺で和尚らとともにお茶をいただく場面。流麗な文章で、「一しずく」に凝縮されたお茶のおいしさが見事に表現されています。「閑人適意の韻事」とは、風流な人が気ままにする遊びのことであり、濃く甘いお茶を味わうことは、風雅なものであり、お茶はゴクゴクと飲むものではなく、じっくりと味と香りを楽しむものだと述べています。

草枕の画像
虞美人草
虞美人草
虞美人草のテキスト
虞美人草

1907年に東京帝大講師をやめて朝日新聞社に入社し、職業作家になる道を選んだ夏目漱石の最初の小説『虞美人草』。

主人公の小野が、自我の強い女性・藤尾と、古風でもの静かな恩師の娘・小夜子との間で揺れ動く物語です。

華麗な語句で飾った美文が特長で、ヒロインの藤尾と彼女の母が茶の間でお茶を飲むシーンも、美しい文章が流れています。急須の中には、以前飲んだときの茶が残り、母が入れ直そうかと言ったが藤尾は断り、そのまま冷たい茶を茶碗に入れて飲み干した、という場面です。さらさらと並ぶ美しい言葉に潜む、お茶の冷たさと、藤尾の母に対する冷たい態度が重なり合い、うまくいっていない親子関係を象徴しています。

虞美人草の画像

読み解くヒントは“禅”にあり!
お茶のシーンに込めた、漱石の思想とは?

読み解くヒントは“禅”にあり!
お茶のシーンに込めた、漱石の思想とは?

そして、美麗な文章の中には、夏目漱石がお茶にこめた思想が垣間見られます。

『草枕』の文章では、お茶「一しずく」を細部まで描いています。漱石は、“凝縮した一滴を味わったら、それは全体を味わったことになるという考えを持っていました。それがよく現れているのが、初期の短編『幻影(まぼろし)の盾』に出てくる一節です。

「百年の齢いは目出度も有難い。然しちと退屈じゃ。楽も多かろうが憂も長かろう。水臭い麦酒を日毎に浴びるより、舌を焼く酒精を半滴味わうほうが手間がかからぬ。百年を十で割り、十年を百で割って、剰す所の半時に百年の苦薬を乗じたら矢張り百年の生を享けたと同じ事じゃ。」(新潮文庫)

人生もビールも、長くだらだら味わうより、凝縮した時間、一滴を味わうほうがよいと書かれている箇所ですが、『草枕』の凝縮したお茶の「一しずく」に通じるものがありませんか?

そして、主人公たち3人が同じ場を共有してお茶を飲むという、その時間。一生にも値するような凝縮された時間が、『草枕』には描かれているのです。それは、禅の「一期一会(いちごいちえ)」に通じる考え方。漱石は若い頃から禅宗に興味を持ち、27歳のときには、鎌倉にある円覚寺で参禅したこともあります。

禅といえばお茶。禅院の生活には喫茶の習慣が溶け込んでおり、「喫茶去(まあ、お茶でもおあがり)」という禅語もあるほどです。そして、漱石の小説の中では、お茶を飲むことが、しばしば日常の象徴として描かれています。

『琴のそら音』で、友人の家で怪談話を聞かされた主人公。だんだん怪しげな、非日常な雰囲気が深まっていくなか、友人の「まあ、お茶でも飲もう」という一言が日常を示し、『坊っちゃん』では、四国に赴任した主人公が、関東の薄いお茶に比べて、ここのお茶は苦そうだと懸念を述べ、四国に感じる東京との異質感を表しています。

かと思えば、上っ面だけをなぞった形だけのものを嫌い、形式ぶった禅問答もどきの手紙を、「お茶でも召し上がれ」と茶化してしまう『吾輩は猫である』。

お茶をおともに漱石の小説を読んでみると、漱石の思想がより感じられるかもしれません。

坊ちゃん
坊ちゃん
坊っちゃんのテキスト
坊ちゃん

親譲りの無鉄砲で江戸っ子気質な主人公が、四国の地方に赴任して、中学校の教師になるお話。何度もメディア化され、国語の教科書にも採用された作品だけに、知っている方も多いのではないでしょうか。

東京育ちの主人公は、引っ越し当初、とにかく地方では気に入らないことばかり。古い慣習から、学校の派閥争い、はてはお茶にまでケチをつけます。

漱石の小説では、登場人物たちがよくお茶を飲んでいますが、そのお茶は味が薄いことが多く、ときには粗茶(そちゃ)であることも。漱石が日常を描くお茶は薄味なのです。ところが、『坊っちゃん』の地方で出てきたのは、苦い濃い茶。お茶の味わいから、東京との違和感を表現しています。

坊っちゃんの画像
琴のそら音
琴のそら音
琴のそら音のテキスト
琴のそら音
琴のそら音のテキスト

1905年に雑誌『七人』に掲載された短編。迷信好きの婆さんと住む主人公が幽霊を研究している友人の津田を訪ねます。婚約者がインフルエンザだというと、津田から最近インフルエンザから肺炎になって死んだ親戚の若い女性の魂が出征中の夫に会いにいったという話を聞きます。その帰り道で出合う葬式や犬の遠吠えの声にだんだん不吉な予感が……という話です。

不吉な話を聞き、平常心を取り戻そうとお茶を飲もうとする主人公。しかし、友人の淹れたお茶を彼は飲めません。安い茶碗になみなみとつがれた出がらしのお茶は、学生時代からの気のおけない友人との関係と日常性の象徴を表しています。お茶を飲めないことで、徐々に不安に飲み込まれ、日常の判断力が揺らいでいく、主人公の動揺がうかがえるシーンです。

吾輩は猫である
吾輩は猫である
吾輩は猫であるのテキスト
吾輩は猫であるのテキスト
吾輩は猫であるの画像

「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」からはじまる、夏目漱石の処女長編小説。中学校の英語教師の珍野(ちんの)苦沙弥の家で飼われている猫の視点から、一家や友人、門下の書生たちの人間模様が風刺的に描かれています。

引用は、苦沙弥先生に届いた天道公平の手紙から。手紙には、初めてナマコを食べた人、初めてフグを食べた人に対する賞賛とともに、神への非難や革命の心理が書かれているのですが、それが実に支離滅裂。まるで禅問答のような文章が続きます。そこに出てくる「よろしく御茶でも上がれ」の一言。まるで、訪ねてきた僧との問答にすべて「喫茶去」と返した禅僧の逸話を茶化しているかのようです。禅に影響を受け、形式ぶったものを嫌った漱石の皮肉が感じられる箇所です。

お茶を飲む、ただそれだけの場面なのに、夏目漱石にかかれば、詩情溢れるシーンになったり、その場にいた人たちの関係性を象徴する名脇役になったり、はては深い思想を表現していたり…。

読めば読むほど、文学とお茶の魅力にはまっていきそうです。

◎合わせて読みたい→ 信長、三成、家康。お茶を愛した戦国武将の知られざる逸話!

(監修/常磐会学園大学 宮薗美佳教授、小説引用/新潮文庫)

planmake_hagiri

取材・文=羽切友希
はぎりゆき●月刊『茶の間』編集部員。ちびまる子ちゃんが好きな静岡県出身。小さい頃は茶畑の近くで育ち、茶畑を駆け抜けたのはよき思い出。お茶はやっぱり渋めが好き。