不安な気持ちを一服のお茶で癒やす! 心をととのえる禅の教え

お茶をいただく、そのひとときが私たちの心のうちをしばしととのえ、安らぎをもたらしてくれます。その一服の心構えと意義、禅の教えにも通じる貴重なお話を、建仁寺塔頭(たっちゅう)興雲庵(こううんあん)の坂井田泰仙住職にうかがいました。

坂井田泰仙住職

坐禅の合間に行なわれる「茶礼」とは?

世の中、時として困難なできごとが重なることがあります。不安な気持ちが増して、心に荒波が立ち、平穏な心持ちが保てなくなってしまいます。

栄西(ようさい)禅師が宋に渡られたころ、わが国は戦乱の世にありました。それで禅師は、なんとか国をおだやかに、平和にしたいという思いがあって禅の根本にある教えとともに、茶の種や道具を持ち帰ってこられました。

「茶と禅」、この2つが結び付くとは即座には考えられないかもしれません。しかし、栄西禅師の時代から800年余りの時を経た今も、茶と禅の密接なかかわりは、心の平穏を保ち、心をととのえる一つの作法として脈々と我々に受け継がれています。

建仁寺
臨済宗建仁寺派の大本山、建仁寺は建仁2(1202)年栄西禅師によって開山された京都最初の禅寺。

たとえば今も、我々の禅寺の中では、お茶は、いろいろな場面でよく使われています。修行道場では、坐禅と坐禅の合間に『茶礼(されい)』という時間があるのですが、同じ急須で淹れたお茶を全員でいっせいに飲みます。これは眠気を覚ますとともに、茶を飲むという同じ行ないと時間を修行僧同士が共有することで、一旦、皆が心をととのえ、心を一つにすることができるのです。

茶や、末代養生の仙薬、人倫延齢の妙術なり
栄西禅師は、2度にわたる渡宋で、禅宗を学ぶとともに茶の種を日本に持ち帰り、日本最古の茶書『喫茶養生記』を著す。冒頭に「茶や、末代養生の仙薬、人倫延齢の妙術なり」と記されている。

「正」しき道は「一」度「止」まって導かれる

修行僧たちには、各人各様の人格や個性があります。その違う個性がぶつかって、いがみあっていては肝心の修行の妨げになります。そのために、修行の合間に、ひと息入れて、しばし心を和ませるのです。

これは千利休が残した『和敬清寂(わけいせいじゃく)』という言葉にも通じます。同じお茶を飲むことで互いに認め合い敬って、そして『寂』という煩悩が消えた覚(さと)りの境地に向かってともに精進していくのです。

一杯のお茶をいただくことで、まず身体をととのえ、呼吸をととのえ、自分自身の心をととのえていくことは、まさに栄西禅師が伝えたかった「茶と禅」を結ぶ尊い智慧であったと思われます。

たとえば、「正」という字は、「一」度、「止」まると書きます。一度、自分自身の心を見つめ直して、雑念や迷いなどの生きていく上での負の思いを洗い流して、心を綺麗にリセットしていくことが、今こそ大切なときではないでしょうか。

双龍図
法堂の天井いっぱいに広がる巨大な「双龍図」が訪れた人々の心の中へ鋭い眼光で迫ってくる。

いろいろな情報が錯綜して、何が正しいかを判断する前に、頭の中が混乱して、深く考えないで他人の行ないを責めたりして、疑心暗鬼になってしまいます。そして不安感が増していきます。

そんなときにこそ一旦手を止めて、一杯のお茶をいただきながら、ひと息入れて、自分自身の足元を見つめ直し、何が正しいかを判断してみるといいのです。そうしてまわりの情報に惑わされることなく、自分はどう思うのかを考えて、より広く大きな視野でじっくり考える時間をもちたいですね。

k_shia

めまぐるしく変化する世だからこそ……

万物はつねに変化しているという意味の『諸行無常(しょぎょうむじょう)』というお釈迦様の言葉があります。今は、いろいろな意味で、変転のときを迎えているともいえます。しかも、状況がくっきりと見えづらい。当然、明日を予測することもできないですね。こういうときだからこそ、仏教の教えがいろいろな形で見直されてきています。

一方、禅語に『青山元不動白雲自去来(せいざんもとうごかずはくうんおのずからきょらいす)』という言葉があります。青山とは、すべての人間に元々そなわっている美しい仏の心です。白雲は、煩悩です。

人の心は変わらないけれど、変化の真っただ中にある今、その波に流されて心が揺らいできます。だからこそこの煩悩という雲をとりはらうために、立ち止まり本来の心を見つめ直して、ととのえねばなりません。一杯のお茶をいただくそのときが、自らを省みる一つの機会にもなるのです。

坂井田泰仙

一杯のお茶をいただくその有難みと意義を見直して

これもお釈迦様の言葉ですが『諸法無我(しょほうむが)』があります。これは、我々は一人では生きることができない。つねに誰かとつながって、お互いに持ちつ持たれつの関係で生かされているということを教えています。

自分の心、存在を見つめ直すといろいろな面で自分を支えてくれている人たちのことが鮮明に見えてきます。それを知って、あらためて感謝の念がつのり、慈悲の心や思いやる気持ちが生まれてきます。

また、世の中の雨風が強いときには、ふだんの何気ないことが有難く思えてきます。一杯のお茶をいただくことは、ごく当たり前のことかもしれません。しかしこの当たり前の有難みと、お茶を飲むひとときの意義を、「茶と禅」の教えを通じて見直していただきたいと願っています。

k_hdaa

坂井田住職の貴重なお話、いかがでしたでしょうか? いろいろな情報が錯綜する今の世の中だからこそ、一杯のお茶をいただきながらひと息入れて心をととのえて、何が正しいのか、じっくり考える時間を持ちたいですね。

(取材・文 萩原健次郎/写真 武甕育子)

planmake_maeda

企画・構成=前田尚規
まえだなおき●月刊『茶の間」編集部員。3児の父。編集部内でのお茶博士(決して日本茶インストラクターではない)。その薄い知識をひけらかし、ブイブイ言わしているとかいないとか。休日に子どもたちと戯れるのが唯一の楽しみ。