未来の人間国宝を探せ!伝統を守り伝える産業技術研究所を徹底リサーチ

長く日本文化の中心だった京都。お茶文化の発展にも、陶磁器、漆器、絹織物などの伝統技術が活用されてきました。そうした中で人間国宝が多く生まれたのも事実。伝統の技を支援・育成する機関、京都市産業技術研究所に、未来の人間国宝を探しに行きました。

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お茶文化とともに発展した「京もの」京の伝統を守る「産業技術研究所」とは?

訪れた場所
地方独立行政法人 京都市産業技術研究所

地方独立行政法人 京都市産業技術研究所

京都市下京区に大規模開発された京都リサーチパークの近代ビル群の中にあり、伝統産業から近代産業までの陶磁器、漆工、染色を中心とした技術者を育成・支援する、全国でも有数の規模の研究所。修了生は作家として、また関連業種に就職するなどして活躍している。

橘洋一さんと田口肇さん

橘 洋一さん
京都市産業技術研究所の工芸・漆チーム チームリーダー。主席研究員。工学博士。

田口 肇さん
京都市産業技術研究所の研究室研究部長。研究主幹。陶磁器チームと工芸・漆チームの双方を担当する。

千年の都・京都では、煎茶を中心とした京焼や、茶の湯文化による茶碗や棗が発展した。
千年の都・京都では、煎茶を中心とした京焼や、茶の湯文化による茶碗や棗が発展した。

京都は千利休以来、長年にわたってお茶文化の中心にありました。そのため、茶の湯の発展やお茶を楽しむために茶碗を始めとしたさまざまな道具類がつくられ、それが伝統工芸として今も引き継がれています。

古くは桃山時代に千利休が国産茶碗として初代長次郎につくらせた樂焼は聚楽の土を使った京都製でした。その後、江戸時代には仁清(にんせい)が京焼の名を高めます。茶道具以外でも、京都に都があったゆえ、湯呑や急須を始め、そこで使われる生活の食器が多く京都でつくられました。

茶道で用いられるのは茶碗のほか、茶入、水指、花入などの多くは陶磁器製。また、棗(なつめ)や炉縁(ろぶち)、茶托などには漆工や蒔絵の精緻な技術が使われています。さらに西陣織や京染、京友禅などの発展も、お茶文化と無縁ではありません。京都の伝統産業はお茶文化があったゆえに発展したともいえるでしょう。

こうした京都の伝統工芸品は「京もの」とも呼ばれますが、若手の職人や作家を育成・支援するための、全国でも有数の養成機関が京都にあります。それが地方独立法人の京都市産業技術研究所(以下、京都市産技研)です。

高度な技術や知識が学べる若手工芸家の強い味方! 後継者を育成して伝統産業の発展を目指す

京都市産技研では人材育成、技術相談、試験分析、研究開発のほか、業界と連携する研究会の運営、地域産業振興のための広報活動なども行なっています。

研究室研究部長の田口肇さんによると伝統産業技術後継者育成コースは、工芸家としての専門技術と知識の習得場所。美大や工芸大で陶磁器や漆工などを専攻した人、著名な工芸家の後継者、なかには地方の窯元の後継者もいて、広く学び、技術を高めるために研修するケースも多いそう。いずれも受験して学費を払い、プロの指導を受け、作家としての独立や就職を目指します。

全国から集まった、陶芸家を志す若者たち。
この日は陶芸と漆工コースの金継ぎの合同授業が行なわれていた。
全国から集まった、陶芸家を志す若者たち。 この日は陶芸と漆工コースの金継ぎの合同授業が行なわれていた。

京都はすでに明治31年から伝統工芸の後継者育成を始め、産業研もそれを受け継いでいます。

「現在、京都では陶土の原料が産出されないため、高い技術と知識でその課題をカバーすることで、多品種・小ロットの特長ある京焼・清水焼が出来ています。そしてそれらを学ぶため全国から多くの方が受講されてきました」と田口さん。なるほど、萩焼だったら地元の土を用いたどの器にも萩焼の特長がありますが、京都の樂焼と清水焼とでは大違い。当代一流の人から多様な作陶を学べる環境は、京都にしかないそうです。

また「漆工コースでは茶道の授業があり、茶室を借りて初歩の茶道の稽古をします。そこで掛け軸、花入、香合、棗など、自分たちがつくる作品がどのように用いられるかを学ぶんです」と工芸・漆チーム主席研究員の橘洋一さんは言います。このように、作品が使われるシーンから想像し、創作するきっかけを与える総合的な研修で、未来の後継者育成を目指しているのです。

しかし、伝統産業振興といっても、ただ昔通りに守り続けているだけでは時代にそぐわないものもあります。たとえば、以前は食器の色付けに鉛を含む成分が使われていましたが、今は健康への影響から規制があります。時代に適した材料を研究開発して、新しい技術を伝統工芸の現場に伝えるのも役割なのだそうです。

伝統工芸は、単に昔の技術をそのまま継承するだけではだめだといいます。逆に時代ともに発展してきたからこそ今があるのです。工学博士でもある橘さんは、新素材の開発や普及も京都市産技研の役割だとして、未来の人間国宝たちの指導にあたっています。

未来の人間国宝を探せ!

陶磁器作家 李 明恵
土やお茶、自然のものに触れて自身のルーツから表現

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Profile

1986年、札幌生まれ。高校でスイス、大学は米国に留学。帰国後に産業技術研究所で本格的に陶芸を学び、作家として独立した。

陶器と磁器の性質を併せ持つ半磁器の作品。
やわらかな白の中にかすかに浮かぶ赤がやさしい印象。
陶器と磁器の性質を併せ持つ半磁器の作品。 やわらかな白の中にかすかに浮かぶ赤がやさしい印象。
蓋付の作品。李さんの代表作のひとつ
蓋付の作品。李さんの代表作のひとつ

学生時代、自分が陶芸家になろうとは夢にも思っていなかったという李明恵(り みょんへ)さん。札幌で生まれ育ち高校はスイスへ。大学時代は米国で舞台芸術を学びました。帰国して札幌でホテルに就職しましたが、地に足をつける生き方や在日三世という自分のルーツなどに想いを馳せ、道を模索していたところで陶芸と出合います。「茶碗をつくってみたらストンと気持が落ち着いて」と語る李さん。教室に通い始めたら楽しく、5年後に先生と2人展を開催しました。すると会場担当者が才能を見抜いて「陶芸を本格的にやるなら本州で学ぶべきだ」と進言、すぐに京都の産技研を見学して受験することに。1年間毎日通い、その後、職業訓練所に1年通ったあと独立しました。

「産技研では、ろくろや鋳込みの成形、絵付けなど陶芸技術をオールラウンドに学べましたが、釉薬の原理を学べたことがとても大きかったです」と李さん。基本を学んだあと、テーマを設けて各自が実験・発表する課題もありました。李さんは素地実験に挑戦。粘土に銅、砂、カオリンなどいろいろな材料を混ぜて何千ものピースを焼き、素地の風合いを追究しました。

人生模索中に茶碗をつくり、腑に落ちて陶芸の世界へ 独自の世界観を確立

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自宅の土間に構えられた炉。
焼き上がって蓋を開けるときは今でも緊張するとか。
自宅の土間に構えられた炉。 焼き上がって蓋を開けるときは今でも緊張するとか。
道具類も整然と整理されて並ぶ。
道具類も整然と整理されて並ぶ。

その成果は作品にも活かされています。李さんの工房には、風合いのある白い作品が整然と並んでいます。これに用いる白い化粧土は、釉薬原料の一種カオリンを混ぜ込んだオリジナルの化粧土なのだそうです。

「半磁器土をろくろで成形したあと、赤土と白土の化粧土を重ねていき、釉薬をかけて焼きます。成形に用いる土は半磁器土といって、陶器と磁器の両方の性質があります」

自分のルーツに関連して、よいなあと思った李氏朝鮮時代の粉青紗器(ふんせいさき)の技術に着目。化粧土を重ねた作品を還元焼成することで、作品にランダムに、「御本」と呼ばれる赤色が現れ、これが李さんの作品独特の風合いとなっています。取材の日は、半磁器土で成形した作品についた手跡を、水を含ませたスポンジでポンポンと叩いてとっている最中でした。

器の焼成には電気炉を用いますが、素焼きは750度まで10時間、本焼きは途中LPガスを加え1250度まで合計18時間焼くのだとか。炉内を高温のガスで酸欠にすることで、土が還元状態になり、作品の表情が出てくるといいます。釉薬の原理を学んだことが、還元の効果を利用するのに結び付いているそうです。

今、主に興味の赴くのは茶器だと教えてくれました。日本茶や中国茶にも関心があるそう。急須は成形に大変手間がかかりますが、茶碗とともに今後もいろいろとつくっていきたいと李さんはいいます。

未来の人間国宝を探せ!

金継ぎ作家 枚田 夕佳
使い手の想いに寄り添い継ぎ合せてよみがえらせる

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Profile

1992年生まれ。東京出身。京都の伝統工芸大学校で蒔絵を専攻したのち産業技術研究所でも学ぶ。卒業後は金継ぎで活躍する。

卒業作品の棗「モルフォ蝶」。蒔絵の羽が美しい。
卒業作品の棗「モルフォ蝶」。蒔絵の羽が美しい。
金継ぎの見本として自ら割って
金継ぎで修復したマグカップ。
金継ぎの見本として自ら割って 金継ぎで修復したマグカップ。

枚田夕佳(ひらた ゆうか)さんは滋賀県生まれの東京育ち。都立高校で美術を専攻しましたが、学校の図書館で人間国宝音丸耕堂(おとまるこうどう)の作品集を見て、その精緻な美しさに感動。蒔絵の華やかさに憧れて、大学は京都伝統工芸大学校に進みました。

大学では漆と蒔絵の基礎を学び、卒業後もこの道を究めたいと、ある蒔絵作家を訪ね、弟子入りを打診しますが、もっと技術を上げてから来るようにと言われてしまいます。そこで入所したのが、産技研の漆工応用コースでした。

「産技研は大学とは全然違いました。大学の先生方も一流の工芸家でしたが、産技研は人間国宝クラスの先生が、ほぼマンツーマンで指導してくださいます。創作のためにデザインを描くところから始めますが、棗の制作では何度もだめ出しをされ、蝶の柄を描いたものが合格となったときはやった! と思いました」と枚田さん。特に棗は、うす暗い茶室の中でこそ、どう美しく見えるかを意識するようにと教わりました。

1年間の研修期間中に、棗を始め、重箱や椀、お盆などの京漆器の基本となる実用品の課題作品を仕上げたことが、大きな学びとなったそうです。

漆工の技術をフル活用! 卒業後は金継ぎのプロとして工房や講師で活躍

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金継ぎの修復作業は、極細の筆を用い、神経を使う細かい作業。
金継ぎの修復作業は、極細の筆を用い、神経を使う細かい作業。
京都市産技研の陶芸コースの生徒たちに金継ぎを教える枚田さん。
京都市産技研の陶芸コースの生徒たちに金継ぎを教える枚田さん。

産技研を卒業後、京都市内の「金継工房リウム」にさらなる技術向上のため就職しました。

「金継ぎは漆の技法をすべて使うんです」と語り、枚田さんが見せてくれたのは金継ぎされたマグカップ。大きく破損したカップが漆と金により、まるで別の独立した作品のように仕上がっています。

「割れた器は糊漆を接着剤としてつけたあと、表面をととのえ、顔料を解いた漆を塗り、金粉を蒔いて仕上げます。その間、何度も乾燥の工程があるので修復までに時間がかかります。気温20度、湿度60〜80%のお風呂場のような環境が乾燥に適しているんですよ」と枚田さん。工房には、和の陶芸品や海外の有名ブランドの食器以外にも、キャラクターものなども持ち込まれ、依頼品の修理に専念します。

「特に湯呑やマグカップは、日常でよく使っているものばかり。値段の価値だけでなく、思い入れの強さを感じます。修復して生まれ変わった食器に驚き、よろこんでくださるお客様の笑顔が何よりです」

また週一度は、産技研に金継ぎを教えに行きます。金継ぎは今注目される技術で、漆の担い手だけでなく、陶芸家の卵たちも心得てほしいとプログラムに組まれています。

今後は金継ぎを通じて漆の技法をさらに極めるとともに、アクリルに漆を使った現代的なアート作品もつくっていきたいと教えてくれました。

お茶の文化にも欠かせない伝統技術を次の世代へ

千年の都・京都。長い歴史の中でさまざまな文化を生み出しました。煎茶や茶の湯の文化もそのひとつ。それらの文化を担うために多くの技術が誕生し、今も伝統工芸「京もの」として受け継がれています。しかし、全国的に伝統工芸の後継者不足が問題視されているように京都も例外ではありません。そうした業界の後継者育成やプロになってからの支援などを行なっている、京都市産業技術研究所は、京都の伝統を守る場所でした。そこで学んだ2人の作家にお話を伺いました。彼女たちは、産技研で学んだことを活かし、また伝統の新しい一歩を踏み出していました。今後の活躍が楽しみです。

(文/中岡ひろみ 写真/入交佐妃 津久井珠美)

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編集=新見麻由子
にいみまゆこ●月刊『茶の間」編集部員。徳島県出身、歴史や文化、レトロなものに憧れて京都へ。休みの日は、散歩や自宅でお茶を片手に本を読みながらまったり過ごしたい。季節を感じる和菓子やお花に興味がでてきた今日この頃。