千年以上愛される、最古の茶書『茶経』! 現代でも通じる内容とは?

中国の唐の時代に陸羽が記した『茶経』は、1200年以上前に著されたにもかかわらず、今も読み継がれるお茶の百科事典です。しかし、歴史を超えて愛される理由は一体なんなのでしょうか? 今回は、『茶経』とそれに関連するお茶の豆知識について、ご紹介します。

茶経サムネ

「お茶の百科全書」として今もなお読み継がれる

お茶の百科全書

古くから中国にあった喫茶の習慣を、文化として体系立ててまとめた点が高く評価されている。
国立国会図書館デジタルコレクション
「茶經3卷 茶録1卷 試茶録1卷 酒譜1卷」

陸羽

『茶経』とは、唐の時代の文化人陸羽(りくう)によって著された書物です。今なお「お茶の百科全書」として高く評価されています。例えば、冒頭の「茶は南方の嘉木なり」という一節は、中国西南部がチャの原産地であるという現代の考察と一致しています。こうした正確さから、成立から1200年以上の年月が流れてもなお、多くの人々に読み継がれているのです。

そのほか、内容をみると、お茶の起源や製茶法、品質の見わけ方、お茶の道具、実際にお茶を煮るときに気をつけることなどが詳しく記載されています。唐代の中国においても、茶を飲む行為は喉の渇きを潤すためだけではなく、それ以上の文化性が求められていたとわかります。また、当時の抹茶は湯に茶の粉を入れたあと、塩を混ぜていたことなど、現代との違いがわかるのも興味深いポイントです。

その後、『茶経』によって、お茶は文化的存在としての地位を確立します。

えっ! 農業の神様はお茶が好き?

神農

『茶経』より以前の、中国の神話にもお茶が登場しています。

中国古代の伝説上の8人の帝王・三皇五帝の一人に数えられる皇帝・神農(しんのう)。からだは人間で頭は牛といった奇怪な姿をしており、人々に農業を教えたとされています。

神農は、人々のために一日に100種近い草を噛んで、その薬効を確かめていたそうです。草に毒が含まれていたときには、チャの葉を噛んで毒消ししたという逸話が残っています。

このエピソードから、お茶が普及するきっかけは薬効であったのではないかということが伺えます。

驚き!情報①
『茶経』によると、当時は、中にネギやショウガ、ナツメ、薄荷(はっか)、タチバナの皮などを混ぜてお茶を飲んでいたそう。
驚き!情報②
お茶を表す字として「茶」が確定する唐時代初期までは、荼(と)・檟(か)・茗(めい)・荈(せん)などさまざまな文字が使われていた。

協力:NPO法人日本茶インストラクター協会

日本茶の普及や歴史を継承するために設立された特定非営利法人(NPO)。日本茶インストラクター・アドバイザーの試験実施と認定、日本茶に関する通信教育の実施や日本茶文化啓蒙のためのセミナーやイベントの開催など、幅広く日本茶の普及にかかわる。

【住所】東京都港区東新橋2-8-5
【電話】03-3431-6637
【HP】https://www.nihoncha-inst.com/

おわりに

1200年以上も経っているのに、いまなお愛され続けているお茶書『茶経』、いかがでしたか? 一杯のお茶の裏には壮大な歴史が横たわっていることに、改めて驚かされます。

(イラスト・中村滋)

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企画・構成=楠石千晶
くすいしちあき●月刊『茶の間』編集部員。梅干しとみかんがおいしい和歌山県出身。幼少期から梅干茶漬けをこよなく愛す。そのおともにはアイドルと深海魚があれば言うことなし。