お茶好き必見!千利休ゆかりの大徳寺で非公開の貴重な茶室をご紹介

大本山・大徳寺と「侘び茶」を大成させた茶聖・千利休。千利休と茶の世界と、大徳寺、3つをつなぐ不思議な縁について、大本山大徳寺 教学・財務部長の小堀亮敬さんにお聞きしました。また、2021年春に特別に公開される3つの寺院の貴重な茶室もご紹介します!

 

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枯山水庭園「直中庭」
利休が作庭したといわれる黄梅院の枯山水庭園「直中庭」(じきちゅうてい)から、茶室「一枝庵」を臨む。茶室の向こうには、秀吉の軍旗である千成瓢箪をかたどったといわれる池も設けられている。春の特別公開及び拝観休止日などの問合せは、京都春秋まで。
【電話】075-231-7015 【HP】https://kyotoshunju.com
小堀亮敬さん

お話

大本山大徳寺 教学・財務部長
小堀亮敬さん

千利休と茶の世界、大徳寺の関係とは……

大徳寺は、臨済宗大徳寺派の大本山で、鎌倉時代末期、正和4年(1315)、播州の守護・赤松円心の寄進により、大燈国師によって開山されました。それから700年余、歴史の大きな波動を受けつつも、「修行が第一」という厳しい禅の教えのもと、真理を求める姿勢を貫いてきました。

「今もなお、ここでは多くの僧侶が悟りを開くための厳しい修行を続けていますが、この大徳寺に一貫して流れる気風、気概といったものが、利休の生き方、思いと重なり、それが『侘び茶』を完成に導き、利休の大徳寺への特別な思いへとつながっていったのではないでしょうか」と話すのは、大本山大徳寺で教学・財務部長を務める小堀亮敬さん。

大徳寺とお茶との関係が特に深まったのは、応仁元年(1467)に始まった応仁の乱で寺の大半が焼失したのちのことでした。

文明6年(1474)に「一休さん」のモデルになった一休宗純が、第47代の大徳寺住職となり、堺の豪商の援助を受けてこの寺を復興しました。一休宗純を師としたのが、村田珠光(むらたじゅこう)でした。珠光は華美な茶会の儀礼や形式よりも精神性を重んじ、その弟子の武野紹鷗(たけのじょうおう)もまた、珠光の精神を受け継ぎました。紹鷗は、第90代住職の大林宗套(だいりんそうとう)のもとに参禅(禅の修行を行なうこと)し、宗套の薫陶を受けるうちに、さらに無駄を削ぎ落とし、自らの茶を「侘び茶」へと導いていきました。そして、紹鷗の弟子となったのが、戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した、千利休だったのです。

 

「利休は、紹鷗の精神性をさらに追究し、極限まで無駄を削ぎ落として『侘び茶』を茶の道として高めていきます。第117代住職の古渓宗陳(こけいそうちん)のもとに参禅し、禅の精神を茶道に取り入れて茶道を大成させたのです。禅寺である大徳寺との縁がなければ、利休がかたちづくり、今日へと続く『侘び茶』という世界観は、完成しなかったかもしれません」

また、大徳寺内の塔頭には、千利休の墓所があり菩提寺でもある聚光院(じゅこういん)や、小堀遠州ゆかりの孤篷庵(こほうあん)、国宝茶室「密庵(みったん)」がある龍光院(りょうこういん)などがあり、茶道関係の人々にとってはまさしく聖地といえるでしょう。毎月、28日を利休忌として、聚光院の本堂において、三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)が交代で法要を行なっており、参列者には呈茶がふるまわれます。

「大徳寺はこのようにお茶との縁が大変深い寺です。私も毎朝、家族みんなでお抹茶をいただいています。修行僧のときは、僧堂でも同じように皆でお抹茶や煎茶をいただいていました。忙しいときこそ、お茶の時間を大切にしたいもの。皆さんもぜひ、お茶とともに気持ちのよい一日をはじめてみてください」

【黄梅院】千利休の師・武野紹鷗好みの「囲い込み式」の四畳半の茶室

一番奥に位置する書院「自休軒」の中にある茶室「昨夢軒」。千利休の師匠である武野紹鷗好みの由来を持つ。点前座(てまえざ)の後方に床(とこ)を設けた四畳半下座床(よじょうはんげざどこ)の茶室。
一番奥に位置する書院「自休軒」の中にある茶室「昨夢軒」。千利休の師匠である武野紹鷗好みの由来を持つ。点前座(てまえざ)の後方に床(とこ)を設けた四畳半下座床(よじょうはんげざどこ)の茶室。

黄梅院は、大徳寺の塔頭寺院の一つで、永禄5年(1562)、織田信長が初めて上洛した際に、父・信秀の追善供養のために小庵「黄梅庵(おうばいあん)」を建立したことが始まりです。その後、当時の羽柴秀吉が増築し、天正17年(1589)に「黄梅院(おうばいいん)」とその名を改め、今日まで、小早川氏の宗家・毛利氏の菩提寺としても受け継がれています。

建物に入ると長い廊下の横に、緑の庭園が見えてきます。これが、秀吉の軍旗「瓢箪」をかたどった池を擁する庭園、「直中庭(じきちゅうてい)」です。千利休が作庭したと伝えられ、庭の中央に「一枝庵(いっしあん)」という茶室が佇み、お茶とゆかりの深い寺ということがわかります。

「直中庭」をぐるりと巡るように進んで本堂へ。禅宗寺院特有の方丈建築で、室中には雲谷等顔(うんこくとうがん)による障壁画『竹林七賢図(ちくりんしちけんず)』をはじめ、檀那の間の『西湖図(せいこず)』など、重要文化財の襖絵四十四面が残されています。方丈の前には、「破頭庭(はとうてい)」という枯山水の庭が清々しく広がっていて、心洗われるような気持ちになります。

琵琶湖のさざなみを感じさせる枯山水庭園「破頭庭」。
琵琶湖のさざなみを感じさせる枯山水庭園「破頭庭」。
黄梅院の庫裡は小早川隆景が寄進して建てられたもの。
黄梅院の庫裡は小早川隆景が寄進して建てられたもの。

その奥にあるのが、書院「自休軒(じきゅうけん)」で、伏見城の遺構を移したものとされ、広々とした書院造りの室内では大名を迎えた茶会を開くことができたともいわれています。そしてその中に、「囲い込み式」と呼ばれる小さな茶室「昨夢軒」が組み込まれています。たった四畳半の茶室は、千利休の師である武野紹鷗好みとして知られています。

さらに建物の最奥にあるのが、僧侶の居住空間であり、台所の機能も持つ庫裡(くり)です。黄梅院の庫裡は小早川隆景が寄進して建てられたもので、日本に現存する最古の禅宗寺院の庫裡で、大変貴重なものです。

黄梅院では、「直中庭」から続く庭全体が、寺院を包み込むように作庭されているのが特長。一説によると、近江に安土城を築城した信長に因んで、庭全体が琵琶湖を、寺院がその中の浮島を表しているともいわれているそうです。簡素な中に湛えられるゆかしさと品格。日本人に寄り添う美意識が隅々まで満ちる空間といえるでしょう。春の芽吹きから初夏にかけて、「黄梅院」をぜひ訪ねてみてください。滴るような緑に包み込まれるはずです。

閑坐庭
右/建物全体を包み込むように庭が展開していく。左/閑坐庭(かんざてい)を廊下から見ると、石が船の舳(へさき)のようで、まるで船に乗っているかのように見える。

大徳寺黄梅院

【公開期間】4月10日〜5月30日
【拝観時間】10:00〜16:00(受付終了)
【拝観料】大人800円、中高生400円
小学生以下無料(保護者同伴)

【興臨院】「洞床」のある古田織部好みの四畳台目の茶室

苔むした露地の向こうに趣ある茶室「涵虚亭」が静かにたたずんでいる。
苔むした露地の向こうに趣ある茶室「涵虚亭」が静かにたたずんでいる。

大永年間(1521ー1528)に能登(現在の石川県)の守護、畠山義総(はたけやまよしふさ)が創建。畠山家の衰退とともに一時、荒廃しましたが、天正9年(1581)、前田利家によって屋根の葺き替えが行なわれ、以後、畠山家に加えて、豊臣政権の五大老を務めた前田家の菩提寺ともなった興臨院。

見どころの一つは、建物の入り口、創建当時の姿を残す趣深い表門と本堂(唐門を含む)で、それぞれ重要文化財に指定されています。また、本堂は、室町期の建築様式の特長を見せ、檜皮葺の屋根は優美で、空間全体に落ち着きを与えています。

涵虚亭と洞床
右/古田織部好みの茶室といわれる「涵虚亭」。床の間は、袖壁がしつらえられて中がほの暗い洞のように見える「洞床」(ほらどこ)になっている。左/表門の奥に唐門が見える。唐破風、檜皮葺で、室町時代の建築の特長をよく表している。

よく磨き上げられた廊下の奥にあるのが、茶室「涵虚亭(かんきょてい)」です。明治の実業家、山口玄洞氏から寄進されたもので、簡素でいて、端正な草庵(そうあん※1)の趣を見せる四畳台目(※2)の茶室となっています。

「昭和の小堀遠州」ともいわれた作庭家、中根金作氏が復元した方丈庭園は、白砂に石組みを配して、理想の蓬莱世界(古代中国の思想、神仙思想の中で説かれる三神山の一つ)を表現しています。塔頭全体に静かで清浄な空気が満ちていて、心身を落ち着かせてくれるとても穏やかな空間です。

 

※1 草や茅で屋根を吹いた簡素な建物、小屋など。※2 畳四畳の客座と台目畳(普通の畳のおよそ四分の三の大きさの畳)一畳の手前座とで構成された茶席。

大徳寺興臨院

【公開期間】3月13日〜6月13日
【拝観時間】10:00〜16:30(受付終了)
【拝観料】大人600円、中高生400円、小学生300円(保護者同伴)

【総見院】境内に並ぶ、趣の異なる3席の茶室

総見院
手前から、表千家の13代・即中斎の好みの茶室「香雲軒」(こううんけん)、表千家・而妙斉の筆による扁額がかかる「龐庵」(ほうあん)、一番奥の「寿安席」(じゅあんせき)は一番広く、昔は僧堂(修業道場)時代の老師の居宅。

羽柴(後の豊臣)秀吉が、本能寺の変に倒れた織田信長の追善供養のために、信長の1周忌に当たる天正11年(1583)に建立したのが、ここ総見院です。当時は、広大な敷地を有し、境内には豪壮な伽藍が立ち並んでいたと伝わります。しかし、明治の廃仏毀釈によりその多くが失われてしまいました。

左/季節には美しい花を数多く咲かせる樹齢約400年の侘助椿。中/墓地には信長公をはじめ、徳姫(信長の息女)、濃姫(正室)、おなべの方(側室)など、一族7基の五輪石や墓碑が並ぶ。右/今にも語りかけてきそうな、あるいはその目に射すくめられそうな、木造織田信長公坐像(重要文化財)。
左/季節には美しい花を数多く咲かせる樹齢約400年の侘助椿。中/墓地には信長公をはじめ、徳姫(信長の息女)、濃姫(正室)、おなべの方(側室)など、一族7基の五輪石や墓碑が並ぶ。右/今にも語りかけてきそうな、あるいはその目に射すくめられそうな、木造織田信長公坐像(重要文化財)。

見どころの一つは、本堂内に安置されている、秀吉が奉納した木造織田信長公坐像(重要文化財)でしょう。高さ三尺八寸(約115センチ)の等身大で、平安時代末期から江戸時代まで続いた仏師の一派、慶派の康清によってつくられました。堂々たる姿、すっと端正な顔立ち、その中にらんらんと見据えるような眼光から、信長の面影がよく伝わってきます。

開祖は古渓宗陳(こけいそうちん)で、千利休の参禅の師でもありました。境内には樹齢約400年、秀吉がこよなく愛したという日本最古の胡蝶侘助(こちょうわびすけ)という侘助椿が現存しています。

現在、敷地内には3つの茶室が静かに建ち並んでいます。秀吉が催した「大徳寺大茶会」では、総見院方丈に秀吉が茶席を設けたとの記録が残っており、総見院とお茶の関わりはとても深いものといえるでしょう。

大徳寺総見院

【公開期間】4月10日〜5月30日の土、日、祝日のみ
【拝観時間】10:00〜16:00(受付終了)
【拝観料】大人600円、中高生400円、小学生以下無料(保護者同伴)

大徳寺と千利休の関わり、そして今回特別に公開される3つの寺院の貴重な茶室などをご紹介しましたが、いかがでしたか?なかなか京都に来られない方も、特別公開を訪れた気分になっていただけたらうれしいです。

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企画・構成=米村めぐみ
よねむらめぐみ●月刊『茶の間」編集部員。出社したらまずはお茶!仕事中はお茶ばかり飲んでいるといっても過言ではないほど、日本茶が好き。作家ものの湯呑など、うつわあつめが趣味。おいしい茶菓子にも目がありません。