『源氏物語』から『鴨川ホルモー』まで!京都・葵祭を描いた物語7選

新緑爽やかな五月に京都で行なわれる葵祭。その起源は6世紀頃まで遡ります。歴史ある祭は、これまでさまざまな物語に描かれてきました。古くは『源氏物語』から、『鴨川ホルモー』まで。書き手によって異なるさまざまな葵祭の姿に、多彩な物語で触れてみませんか?

読書のおともに、まろやかなお茶をどうぞ。

葵祭・路頭の儀
5月の間、約1ヵ月にわたって行なわれる葵祭のハイライトともいえる路頭の儀。平安貴族に扮した行列が、京都市内を練り歩く。
※2021年の路頭の儀は中止。(写真・村上文彦)

1.『枕草子』 清少納言も心浮き立つ祭りの姿

『枕草子』 清少納言 四月の賀茂(かも)祭の頃は、とても素敵。上達部(かんだちめ)や殿上人(てんじょうびと)も、袍(ほう)の色が濃いか薄いかくらいの違いで、白襲(しらがさね)も揃(そろ)いの様子が、涼しげで美しいのです。木々の葉は、まだそれほど鬱蒼(うっそう)とはしておらず、あたり一面が青々と若やいでいる様子。春の霞(かすみ)とも秋の霧とも無縁の空に、何やら無性に浮き立つ心地がする頃、少し曇ってきた夕方や夜など、「空耳かしら」と思えるくらい遠くに忍び鳴くほととぎすの、まだたどたどしい声を初めて耳にしたら、どれだけ気分が湧き立つことでしょう。
『枕草子』 清少納言 四月の賀茂(かも)祭の頃は、とても素敵。上達部(かんだちめ)や殿上人(てんじょうびと)も、袍(ほう)の色が濃いか薄いかくらいの違いで、白襲(しらがさね)も揃(そろ)いの様子が、涼しげで美しいのです。木々の葉は、まだそれほど鬱蒼(うっそう)とはしておらず、あたり一面が青々と若やいでいる様子。春の霞(かすみ)とも秋の霧とも無縁の空に、何やら無性に浮き立つ心地がする頃、少し曇ってきた夕方や夜など、「空耳かしら」と思えるくらい遠くに忍び鳴くほととぎすの、まだたどたどしい声を初めて耳にしたら、どれだけ気分が湧き立つことでしょう。

日本初の随筆集『枕草子』。平安時代中期、一条天皇の(ちゅうぐうていし)に仕えた清少納言による、日常生活や四季の自然についての文章、宮仕えの体験を伝える日記などが、全300あまりの章段で綴られています。

当時から「祭」といえば葵祭(賀茂祭)を指すほど、祭りの代名詞だった葵祭についても、彼女ならではの鋭い観察眼で描写されています。行列に並ぶ人々の美しい装いや、爽やかな初夏の風景は、今と変わらぬ景色だったことを思わせます。別の章段には、「過ぎた時が恋しくなるもの。枯れた葵」とあり、祭のあとの切なさも綴られています。

当時の葵祭の様子、準備に動き回る人々などが描かれ、平安時代の人々と今を繋ぐ、祭への情熱を感じることができます。

2.『源氏物語』 光源氏を巡るオンナのバトルの舞台に!

葵祭・禊祓の儀式
祭りに奉仕する斎王代以下、女人列に参加する40余名の禊祓の儀式。下鴨神社と上賀茂神社が、毎年交代してこの神事をとり行なう。
※2021年の斎王代御禊神事は中止。(写真・村上文彦)
『源氏物語』 紫式部 四月に行われる賀茂の祭は、決められた行事のほかに付け加わることが多く、見どころもすこぶる多い。それだけこの斎院がとくべつな身分だということである。御禊(ごけい)の日は、上達部(かんだちめ)など、規定の人数で供奉(ぐぶ)することになっているが、人望が篤(あつ)く、容姿端麗な人々ばかりを選び、下襲(したがさね)の色合いから表袴(うえのはかま)の模様、馬や鞍(くら)に至るまで、立派に調えられた。そればかりか、とくべつの仰せ言があり、光君も奉仕することとなった。
『源氏物語』 紫式部 四月に行われる賀茂の祭は、決められた行事のほかに付け加わることが多く、見どころもすこぶる多い。それだけこの斎院がとくべつな身分だということである。御禊(ごけい)の日は、上達部(かんだちめ)など、規定の人数で供奉(ぐぶ)することになっているが、人望が篤(あつ)く、容姿端麗な人々ばかりを選び、下襲(したがさね)の色合いから表袴(うえのはかま)の模様、馬や鞍(くら)に至るまで、立派に調えられた。そればかりか、とくべつの仰せ言があり、光君も奉仕することとなった。

紫式部による王朝文学の傑作『源氏物語』に描かれた数々の印象的な場面の中でも、特に有名なのが「車争(くるまあらそい)」です。

主人公・光源氏の正妻・葵の上と愛人・六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)が、葵祭の見物場所を巡って衝突します。舞台となったのは、祭の当日ではなく、祭の前に行なわれる斎院御禊の日でした。皇族から選ばれる斎王が祭の前に禊(みそぎ)を行なう大切な行事です。光源氏との恋愛関係に悩む六条御息所は、気分を晴らそうとひっそりと見物へ出かけますが、葵の上との衝突で、さらに惨めな気分になってしまいます。愛憎渦巻く物語の舞台となった斎院御禊の日。現在では、斎王に代わり京都市民から選ばれた斎王代が、神社の祓所(はらいじょ)でその身を祓い清めるかたちで続いています。

3.『徒然草』 今も昔も変わらぬ優美な行列に、みんなが夢中!

葵桂
牛車や供奉者の衣冠などに飾られた緑の葉は「葵桂(きっけい)」といい、桂の小枝に双葉葵を絡ませたもの。祭で使われる葵は、毎年、上賀茂神社と下鴨神社から京都御所に納められている。(写真・村上文彦)
『徒然草(つれづれぐさ)』 吉田兼好  この祭では、車、簾、調度などあれこれのものに葵(あおい)をかける。優美なものだ。まだ夜が明けきらぬうちから人目に立たずに牛車(ぎっしゃ)が集まってくるさまについ好奇心をそそられて、この車はどなたのものか、あれはどなたのかと推量する。(中略)それでも日が暮れてくると、先ほどまで立ち並んでいた牛車も、立錐(りっすい)の余地もなくひしめいていた群衆もどこかに姿を消して、やがて人の姿もまばらとなる。車馬の混雑がおさまり、桟敷の簾や畳も取り払われてしまうと、あたりは不意に寂しくなる。これも世の習いかと思い知られる。都大路の一日のありさまを見ること、それがこの祭の興趣なのであろう。
『徒然草(つれづれぐさ)』 吉田兼好 この祭では、車、簾、調度などあれこれのものに葵(あおい)をかける。優美なものだ。まだ夜が明けきらぬうちから人目に立たずに牛車(ぎっしゃ)が集まってくるさまについ好奇心をそそられて、この車はどなたのものか、あれはどなたのかと推量する。(中略)それでも日が暮れてくると、先ほどまで立ち並んでいた牛車も、立錐(りっすい)の余地もなくひしめいていた群衆もどこかに姿を消して、やがて人の姿もまばらとなる。車馬の混雑がおさまり、桟敷の簾や畳も取り払われてしまうと、あたりは不意に寂しくなる。これも世の習いかと思い知られる。都大路の一日のありさまを見ること、それがこの祭の興趣なのであろう。

「徒然なるままに、日ぐらし硯(すずり)に向かひて……」という有名なフレーズで始まる、吉田兼好による鎌倉時代後期の随筆『徒然草』には、当時の人間や社会への鋭い洞察が、やさしく美しい文章で綴られています。

第137段では、葵祭の頃の様子が描かれています。葵祭を見物するたくさんの人々の様子を批判したあと、彼が感じる葵祭のよさを語っています。それは、行列のあちこちに飾られている葵でした。双葉葵(ふたばあおい)は、葵祭を主催する下鴨神社と上賀茂神社の神紋です。もともとは「賀茂祭(かもさい)」と呼ばれていましたが、葵の葉を飾ることから次第に「葵祭」と呼ばれるようになりました。祭のあとの寂しさも合せて語るところに、清少納言と共通する価値観が見られます。

4.『鴨川ホルモー』 京大生のアルバイトの定番!

牛車
藤の花などで鮮やかに彩られた牛車。そのそばを、平安時代の衣装である白い狩衣(かり)や葵をかざした烏帽子(えぼし)に身を包んだ数名の人々が、支えながら歩いていきます。(写真・村上文彦)
『鴨川ホルモー』 万城目 学(まきめ まなぶ) 河原町通(かわらまちどおり)の両側をカメラ片手にぎっしり並んだ観客の前を、自然体で歩くのもなかなか難しく、牛車の側面に飾られた藤の花を風流と感じる余裕もないまま、俺は始終面映ゆい気分で、御所の建礼門(けんれいもん)前から下鴨(しもがも)神社までの道筋を歩いた。
『鴨川ホルモー』 万城目 学(まきめ まなぶ) 河原町通(かわらまちどおり)の両側をカメラ片手にぎっしり並んだ観客の前を、自然体で歩くのもなかなか難しく、牛車の側面に飾られた藤の花を風流と感じる余裕もないまま、俺は始終面映ゆい気分で、御所の建礼門(けんれいもん)前から下鴨(しもがも)神社までの道筋を歩いた。

大学入学直後、葵祭のアルバイトに参加した主人公。その帰りに、「京大青竜会」という怪しいサークルを紹介されたのがすべての始まりでした。京都の街を舞台にして繰り広げられる、鬼を操る「ホルモー」という競技に参加することに……。

人気小説『鴨川ホルモー』の主人公が行なった葵祭のアルバイトとは、「路頭の儀」で牛車のそばで歩くというものでした。行列は500人以上の人々が参加し、京都御所建礼門前を出発して下鴨・上賀茂両神社に参向します。牛車や風流傘(ふうりゅうがさ)、斎王代など、衣装から小物に至るまで平安朝時代の姿が再現されており、さながら平安絵巻のよう。葵祭のハイライトとして有名なこの儀式ですが、本に没入して「支える人たち」の気持ちを味わってみませんか。

5.『京都三条寺町のホームズ』 祭のヒロイン・斎王代に届いた怪文書とは…?

斎王代
葵祭のヒロインともいえる斎王代は、京都ゆかりの未婚の女性から選ばれる。十二単に身を包み、京都市内を練り歩く姿がなんとも美しい。※2021年は、行列中止のため選出されず。(写真・山中茂)
『京都寺町三条のホームズ』望月麻衣 いろいろあった中、覚悟を決めて、今年の主役となった佐織さん。 十二単を纏い美しい斎王代となった佐織さんが輿に乗って御所(ごしょ)を出た時には、その神々(こうごう)しさにみんなが溜息を漏らした。 何か吹っ切れたのだろう、その表情には強さが感じられた。(中略) ホームズさんとともに、斎王代となった佐織さんの姿を境内の観覧席から眺めながら、あの怪文書事件を変にこじらせることなく、解決させることができて本当に良かったと、心から思った─薫風(くんぷう)が心地よい、葵の頃だった。
『京都寺町三条のホームズ』 望月麻衣 いろいろあった中、覚悟を決めて、今年の主役となった佐織さん。 十二単を纏い美しい斎王代となった佐織さんが輿に乗って御所(ごしょ)を出た時には、その神々(こうごう)しさにみんなが溜息を漏らした。 何か吹っ切れたのだろう、その表情には強さが感じられた。(中略) ホームズさんとともに、斎王代となった佐織さんの姿を境内の観覧席から眺めながら、あの怪文書事件を変にこじらせることなく、解決させることができて本当に良かったと、心から思った─薫風(くんぷう)が心地よい、葵の頃だった。

京都の寺町三条商店街にポツリとたたずむ骨董品店「蔵」を舞台にした人気のミステリーシリーズ。「寺町のホームズ」と呼ばれている店主の息子・家に頭(やがしら)清貴とアルバイトの女子高生・真城葵のもとへ、葵祭に関するとある依頼が持ち込まれます。

葵祭のヒロイン・斎王代に選ばれた女子大生の佐織のもとへ、怪文書が届いたというのです。清貴と葵は、怪文書の犯人を探すため、佐織の周辺を探りますが、次第に斎王代の裏事情も明らかになってきて……。

京都市内でまことしやかに伝わる斎王代の選出基準や必要経費など、斎王代の裏事情には、なんとも興味をそそられます。物腰はやわらかいけれども恐ろしく勘が鋭い「イケズ」な京男子・清貴のキャラクターも魅力的です。

6.『京まんだら』 目の前で馬が暴れだして、びっくり!

勅使
行列中最高位の人であり、天皇の御使である勅使。現在は、勅使は行列には参加せず、近衛使代(このえつかいだい)がその役割を担っている。(写真・山中茂)
『京まんだら』 瀬戸内寂聴 突然、恭子の目の前で行列の足並が乱れ、一時に騒然と叫び声がおこった。黒い袍の勅使を乗せた白に黒い斑(まだら)のある目立って立派な馬が、急に、荒れだし、乗せた勅使を振り落そうとするように激しく胴震いすると、いきなり列を無視して、全速力で走りだした。(中略)それは一瞬の出来事だったが、この突発事故はそれまでの夢幻劇を見ているようなおだやかな空気を一挙にかき乱し、かえって、いきいきした雰囲気が盛り上ってきた。馬の尻からひきずって地を掃いていた勅使の裾(きょ)が、畳み直され、まだ荒い息をはいて興奮している馬を、馬主が叱りつけたりするのを見て、笑い声まであがる。
『京まんだら』 瀬戸内寂聴 突然、恭子の目の前で行列の足並が乱れ、一時に騒然と叫び声がおこった。黒い袍の勅使を乗せた白に黒い斑(まだら)のある目立って立派な馬が、急に、荒れだし、乗せた勅使を振り落そうとするように激しく胴震いすると、いきなり列を無視して、全速力で走りだした。(中略)それは一瞬の出来事だったが、この突発事故はそれまでの夢幻劇を見ているようなおだやかな空気を一挙にかき乱し、かえって、いきいきした雰囲気が盛り上ってきた。馬の尻からひきずって地を掃いていた勅使の裾(きょ)が、畳み直され、まだ荒い息をはいて興奮している馬を、馬主が叱りつけたりするのを見て、笑い声まであがる。

京都の四季とともに心揺さぶる人間模様を描いた、瀬戸内寂聴の代表作のひとつで、テレビドラマ化もされた本作にも、葵祭は登場します。

随筆家の菊池恭子は、10年前にベテラン作家と不倫に走ったつらい思い出を抱えていました。葵祭の行列を見に訪れた恭子は、平安貴族に扮した行列を眺めながら、1000年の昔に思いを馳せます。恭子は、目の前で馬が暴れるという突発事故に驚くとともに、どういうわけか興奮しているような様子。ねっとりとなまぐさい人間の感情が心にしみてきます。

この場面で登場する勅使(ちょくし)とは、実は葵祭の主人公。行列中で最高位の人であり、天皇の御使ですが、瀬戸内寂聴が描くと、どこか人間らしさを感じます。「現代版源氏物語」ともいわれる名作です。

7.『古都』 お茶にまつわる行事にも注目

名家
一ヵ月にわたる葵祭もいよいよクライマックス。大勢の人々が見守る中、荘厳な雰囲気の中で、お茶の名家が神様にお茶を捧げる。(写真・村上文彦)
『古都』 川端康成 古社寺の多い京では、ほとんど毎日のように、どこかで、大きい小さいの祭りがあると言っていいかもしれない。祭りごよみをながめていると、五月はいつもなにかあるのかと思えるほどだ。 献茶、茶室、野立て、釜もどこかでかかっていて、まわりきれないほどだ。
『古都』 川端康成 古社寺の多い京では、ほとんど毎日のように、どこかで、大きい小さいの祭りがあると言っていいかもしれない。祭りごよみをながめていると、五月はいつもなにかあるのかと思えるほどだ。 献茶、茶室、野立て、釜もどこかでかかっていて、まわりきれないほどだ。

京都を舞台にした川端康成の長編小説『古都』。生き別れになった双子の姉妹が偶然に再会し、次第に心を通わせていきます。登場人物の繊細な心の動きとともに、祇園祭や時代祭などの年中行事や、四季折々の風景の美しさを表現していることから、海外の評価も高い作品です。

主人公・千恵子は、学校の友人が斎王代に選ばれたこともある葵祭に思いを馳せます。特に注目なのは、下鴨神社で斎行され、葵祭の最後を飾る「煎茶献茶祭」です。約1月にわたって行なわれた葵祭の数々の行事を無事に終えられたことに感謝を表して、神様に煎茶を捧げます。

煎茶献茶祭では、京都の格式ある煎茶道流派・小川流煎茶のお家元がお点前を披露。舞殿は高床式になっているため、間近でお家元のお点前を見られる貴重な機会です。

※上賀茂神社では、葵祭の後儀として、表・裏両千家の隔年奉仕にて「献茶祭」が斎行される。

おわりに・・・

古典から現代小説まで、さまざまな物語に描かれてきた葵祭。
5月のステイホームのおともに、葵祭に関する小説を読んで、京都へ思いを馳せてみてください。

企画・構成=大村沙耶
おおむらさや●月刊『茶の間」編集部員。福岡県北九州市出身。休日は、茶道や着付けのお稽古、キャンプや登山に明け暮れる。ミーハーだけど、伝統文化と自然を愛する超ポジティブ人間。