山鉾を見れば西陣の織物史がわかる?! 祇園祭の美術品がすごい!

日本三大祭の一つで、京都の夏の風物詩でもある祇園祭。きらびやかな(けそうひん)をまとった山鉾が京都の町を練り歩く山鉾巡行が有名で「動く美術館」とも呼ばれます。(うらでやま)に伝わる美術品からわかる、西陣の職人たちの物語をご紹介しましょう。

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京都文化博物館 主任学芸員 橋本章さん

●教えてくれる人
京都文化博物館 主任学芸員
橋本章さん

滋賀県生まれ。長浜市長浜城歴史博物館、長浜市曳山博物館を経て、現在、京都文化博物館に学芸員として勤務。2020年より同館主任学芸員。専門は日本民俗学。『京都祇園祭—町衆の情熱·山鉾の風流—』(2020年 思文閣出版)ほか、祭りや民俗学に関する本を多数執筆。

京都文化博物館 主任学芸員 橋本章さん

●教えてくれる人
京都文化博物館 主任学芸員
橋本章さん

滋賀県生まれ。長浜市長浜城歴史博物館、長浜市曳山博物館を経て、現在、京都文化博物館に学芸員として勤務。2020年より同館主任学芸員。専門は日本民俗学。『京都祇園祭—町衆の情熱·山鉾の風流—』(2020年 思文閣出版)ほか、祭りや民俗学に関する本を多数執筆。

祇園祭は、1000年以上続く疫病払いの祭です

毎年7月になると「コンチキチン」という祇園囃子(ぎおんばやし)が流れはじめ、京都の町は祇園祭一色になります。7月1日の吉符入(きっぷいり)から31日の疫神社夏越祭まで、1ヵ月にわたって多彩な祭事が行なわれる八坂神社の祭礼です。中でも前祭(さきまつり)と後祭(あとまつり)の山鉾巡行、それぞれの宵山には大勢の人々が訪れ、京の町は祭りの熱気に包まれます(2021年の山鉾巡行は中止)。

その起源は、平安時代中期にさかのぼります。当時、天災や疫病は、無念の死を遂げた死者の霊魂「御霊」の祟りだと考えられ、それを鎮めるために行なわれたのが「御霊会(ごりょうえ)」です。全国66ヵ国の矛(ほこ)を立て、祇園社より神輿を送り、神事が執り行なわれました。平安時代後期には、牛頭天王(ごずてんのう)を祀る社殿として「祇園社(今の八坂神社)」が成立し、「祇園御霊会」が年中行事化していったといわれています。今も続く祇園祭のルーツです。

幾多の年月を経る中で、祭のかたちはさまざまに変化し、今から約700年前の南北朝〜室町時代には、山や鉾の姿が祇園祭に登場するようになります。舶来の懸装品や美しい錺(かざり)金具など、多彩な装飾品で彩られた華やかな山鉾がにぎやかな踊りや音曲とともに都を往来する姿は、沿道に繰り出す人々を大いに熱狂させたのです。その担い手となったのが、「町衆」といわれる都の経済を支えていた商工業者たちでした。

なぜ、"動く美術館"と呼ばれるのでしょう?

室町時代に、人々を驚かせたり楽しませたりするような華やかな趣向を凝らす「風流(ふりゅう)」と呼ばれる美意識が登場します。町衆たちはその風流の気風に乗って、祇園祭の山鉾巡行をより盛大なものへと成長させていったのです。

戦乱の時代を経て、江戸時代になると、祇園祭も新たな段階へと変化していきます。それまで、山鉾は毎年のようにつくり替えられていましたが、徐々に御神体人形などは固定化されていきます。その一方で、本体に飾られる装飾品はより豪華なものへと発展していきます。西陣に代表される京の織物を使った懸装品や、京の金工師らによる美しい錺金具、そして京都の一流の絵師たちが山鉾に描いた作品。それら、山鉾をどうデコレーションしようか、飾る美術品をどうやって手に入れようか、そしてどう人々にアピールしようか、ということに町衆たちはものすごく心を砕いたのです。その結果できあがってきた美意識の蓄積と集められた美術品の素晴らしさが、祇園祭が「動く美術館」といわれる所以です。

今回、さまざまな山鉾の中でもあらゆる美術品が揃い、京都の産業の歴史を語る上で欠かせない美術品を持つ「占出山」に注目しました。次からは、占出山に伝わる懸装品をご紹介し、京都の町衆の風流の心意気をひもといていきます。

働く女性の信仰を集める占出山とは

祇園祭には、前祭と後祭を含めて、34の山鉾町があります。それぞれにストーリーを持っていて、その物語を基にした独自の信仰が後から湧き上がるように出てきたのです。いろいろな山鉾を回ると、学業成就や火事除け、恋愛成就などのお守りが授与されます。長い歴史があるからこそ、各山鉾の物語が生まれる土壌があったと思われます。それぞれの山鉾に特長があるところも、祇園祭の魅力の一つです。

中でも占出山は別名「鮎釣山(あゆつりやま)」ともいわれ、働く女性の最古の例ともいえる神功(じんぐう)皇后を御神体としています。神功皇后は、子どもがお腹の中にいるのに、戦いに出なければならず、出陣中に鮎を釣って占いをしたといわれています。うまく釣れたので、「大丈夫だろう!」と自分を鼓舞して、国のために戦いに行き、無事に戦いを終えて帰ってくるときに子どもを産んだという逸話のある女性です。子どもを守り育てながら仕事もしたことで、女性の信仰を集め、「安産祈願」の神様としても有名です。

また、占出山にはたくさんの衣装も伝わっています。これは、安産祈願をする貴族や有力商人から贈られたものです。安産のお願いだけでなくお礼としてのきものもあります。江戸時代中期頃からのきものがたくさん残っていることから、古くから信仰を集めていたことがわかります。

小袖 綾地紅白段松皮菱 雪輪枝垂桜文様 唐織

占出山の山鉾の各部名称

占出山の山鉾の各部名称
参考文献:『京都 祇園祭手帳』(河原書店)

① 朱傘

ほとんどの山が用いる朱傘を、最初に使った宝永7年(1710)の記録が残る。

② 真松

山籠(やまかご)型。ほとんどの山が赤松を用いるのに対し、占出山は黒松(雄松)を用いる。御神体人形が女性であることに対応したと伝わる。赤松に比べ、枝の間隔が長い。松の下枝に銅鈴(どうれい)1個を下げる。真松を支える山籠には、緑の羅紗をかける。この色の羅紗をかけるのは、鯉山と孟宗山と占出山の3基のみ。

③ 御神体人形

神功皇后像。鮎を釣って占いをしたという逸話に基づいて釣竿を持った姿に。下着の上に安産祈願の晒木綿(さらしもめん)腹帯を巻いて形を整え、上に着付けをし、最後に神面をつける。反りの強い1mの太刀を佩(は)く。この太刀は巡行用で、別に神宝として三条小鍛冶宗近(さんじょうこかじむねちか)作の約60cmの太刀があり、京都国立博物館に寄託されている。

④ 見送

「双龍宝尽額牡丹に鳳凰(ほうおう)文様」綴織。胴懸と同じく明綴織(みんつづれおり)。寛政6年(1794)、西陣の名工・林瀬平の制作で、平成13年(2001)に復元新調された。ほかに、山口素絢(そけん)の子・素岳(そがく)下絵で糸屋彦兵衛の作になる「富士山風景図」綴織などもある。

⑤ 角飾金具

檜扇(ひおうぎ)の形につくった極めて異色なもの。水引の三十六歌仙に呼応する。金銀交互に15枚を重ねた檜扇に、緋色の糸を通して房を垂らし、要(かなめ)付近に菊花2個を房掛にする華麗な作品。

⑥ 一番水引

三十六歌仙図肉入刺繍。歌仙の図柄は左右競う形をとり、正面中央左に柿本人麻呂、右に紀貫之を配し、以下両側へ流れる。見る人からは、向かって右が「左方(さかた)」、左が「右方(うかた)」となる。

⑦ 二番水引

一番水引に縫いつけた細長い縁付で、円形、角形、菱形などの鳳凰、兎などを刺繍する。正面11個、側面に15個あるが同じ図案はない。一番、二番とも天保2年(1831)三文字屋伝兵衛の作。平成25年(2013)新調。

⑧ 前懸

日本三景の「宮島図」綴織(つづれおり)。天保2年(1831)生駒兵部(いこまひょうぶ)作。平成3年(1991)新調。

⑨ 胴懸

日本三景の「松島図」と「天橋立図」綴織。天保2年(1831)紋屋次郎兵衛(もんやじろべえ)作。天橋立図は昭和60年(1985)、松島図は昭和62年(1987)新調。ともに明綴という細糸を使った特殊な技法で織られており、極めて価値が高い。

占出山の懸装品から見えてくる、 西陣の技術革新の物語

山鉾の装飾にはさまざまな意匠が凝らされていますが、室町時代には、ベルギーやペルシャなどからの舶来品を飾ることが主流でした。次第に京都の文化力が上がってくると、国産品が増えていきます。町衆たちは御用絵師をはじめとする一流の絵師たちに懸装品の下絵を依頼するようになりますが、当時、絵師たちの緻密な絵を織物にする技術はありませんでした。最初は刺繍で表現していましたが、時間と労力がかかりすぎます。そこで、町衆は京都の織師たちに技術的な革新を求めたのです。

西陣の職工の一人、林瀬平(はやしせべえ)は、中国の綴織(つづれおり)という技術に目をつけます。奈良時代には日本に伝わっていた綴織は、技術的な難しさがありましたが、「西陣の技術を使えば綴織ができるのでは?」と林瀬平は考え、西陣で最初に綴織の技法を大成させます。その頃、林瀬平と古くから繋がりのあった占出山は、懸装品の新調を依頼します。林瀬平は、山口素岳ら絵師たちが描いた日本各地の名所の下絵を、三人の弟子たちに綴織を使って表現させました。「西陣の見たこともない技術で、斬新な職人たちを使った何かが出るらしい」という話題をふりまき、一般の人々の注目を集めます。その年の山鉾巡行は、ほとんど占出山のレビュー状態に。それから西陣には、綴織の注文が殺到したそうです。占出山の懸装品からは、そんな西陣の技術革新の物語が見えてきます。

長年培われてきた美的センス、新しい技術を取り入れて人々を楽しませようとする町衆の〝風流〟の心意気は、今なお京の町衆たちに受け継がれています。

前懸 宮島之図
胴懸 松島之図
胴懸 天橋立図
見送 富士山之図

▼ 京都文化博物館で開催中!
祇園祭展

祇園祭展

祇園祭の山鉾巡行を飾る、舶来の懸装品や美しい錺金具、そして故事や伝説の物語を体現した意匠の数々。本展では、多くの人々を魅了してきた山鉾の懸装品などをご紹介します。特に、孟宗山に伝わる、昭和初期の絵師・竹内栖鳳の肉筆による見送「白綴地墨画孟宗竹藪林図」(左)は必見です。

【会期】2021年6月5日(土)〜8月1日(日)
【会場】京都文化博物館 2階総合展示室「京のまつり」
【休館日】毎週月曜日(祝日の場合は翌日休館)
【開館時間】10:00〜19:30(入館は30分前まで)
【電話】075-222-0888
【HP】https://www.bunpaku.or.jp/

美術でひもとく祇園祭、いかがでしたか?

今回は占出山町をご紹介しましたが、各山鉾町の一つひとつにそれぞれの物語があるのが、祇園祭の魅力です。

歴史や物語を知っておけば、祇園祭当日がもっと面白くなるはず。

来年以降の予習に、ぜひ活用してみてくださいね。

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(文・大村沙耶/写真・すべて公益財団法人祇園祭山鉾連合会提供)

企画・構成=大村沙耶
おおむらさや●月刊『茶の間」編集部員。福岡県北九州市出身。休日は、茶道や着付けのお稽古、キャンプや登山に明け暮れる。ミーハーだけど、伝統文化と自然を愛する超ポジティブ人間。