女性で初めて文化勲章に輝いた画家・上村松園は実は京都の葉茶屋の出身でした。透明感あふれる美人画を描き続けた彼女の人生は、お茶の香りから始まります。京都市京セラ美術館で開催中の展覧会から、重要文化財「序の舞」や初公開となる絵画を含む、松園の至極の作品を紹介!

お話してくれた人

京都市京セラ美術館
学芸係長
後藤 結美子さん
当館に勤務して20年になります。西洋美術史を専攻していましたが、美術館に勤め始めてからは京都の近代美術について展覧会を企画したりしています。
葉茶屋生まれの女性画家の絵に捧げた人生とは



画家
上村松園 うえむら・しょうえん
1875年京都市に生まれる。本名は津禰(つね)。京都府画学校に入学し、鈴木松年(すずき・しょうねん)、幸野楳嶺(こうの・ばいれい)、竹内栖鳳(たけうち・せいほう)に師事する。早くから頭角を現し、美人画の人気画家として活躍する。1948年に女性で初めて文化勲章を受章。1949年に死去。写真:松伯美術館提供
画家
上村松園 うえむら・しょうえん
1875年京都市に生まれる。本名は津禰(つね)。京都府画学校に入学し、鈴木松年(すずき・しょうねん)、幸野楳嶺(こうの・ばいれい)、竹内栖鳳(たけうち・せいほう)に師事する。早くから頭角を現し、美人画の人気画家として活躍する。1948年に女性で初めて文化勲章を受章。1949年に死去。写真:松伯美術館提供
上村松園は明治8年、京都の葉茶屋の次女として生まれました。葉茶屋とは、お茶の葉を売る店のことですが、祇園周辺には芸舞妓を呼ぶ店をお茶屋と呼ぶため、区別した呼び方をしていました。
父は彼女の誕生を待たずに他界、母が女手一つで店を切り盛りしていました。母がお茶を乾燥させている音と匂いを感じながら眠りについたという手記が残っています。商売をする母の傍らで絵を描く少女の姿は、お茶を買いにきた近所の人の間で話題となっており、人が自然と集まる店先は幼い松園にとって絵の題材に最適でした。
母の後押しもあり、日本で初となる公立の美術学校・京都府画学校(現在の京都市立芸術大学)に入学、最初の先生である鈴木に師事します。この頃、博覧会へ出展した絵が英国皇子に買い上げられるなど、その才覚をすでに現していきます。
その後、さらなる技術向上のため、人物画を得意とする画家・の塾へ移籍。しかし、すぐに師が他界、同じ門下の兄弟子にあたる竹内の元へ移ります。こうして「葉茶屋の次女」は、日本を代表する画家としての道を歩み始めました。

生涯求め続けた日本女性の美と文化、そこには母への想いが
「当時の京都画壇は改革期にありました。江戸幕末期のスタイルから、近代化・西洋絵画の影響の波が訪れていたためです」
教えてくれたのは、京都市京セラ美術館の学芸員・後藤結美子さん。今回の展覧会を担当されています。
明治も中期になり、女性の洋服姿や食など、近代化の流れは画壇にも街にも如実に現れてきました。しかし、松園の作品には洋服の女性は一人もいないと後藤さん。
「松園は、変化していく時代の中で、江戸時代の女性の着物や化粧といった古きよきものが失われていくのが嫌で、自分の作品を通して文化を残そうとしていたのです」
例えば、明治以降廃れていった風習として、既婚女性を表すお歯黒や青眉などをあえて描き続けました。
また「一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香高い珠玉のような絵」を理想とした松園。男性画家では描けない、女性が憧れるような女性、媚びることのない気高く立つ女性の姿を技巧を凝らして描いています。そこには自分を生涯支えてくれた、母への尊敬の念が込められているのではと後藤さんは言います。


松園の代表作が一挙に京都へ里帰り 約50年ぶりの大回顧展!
そんな松園の作品が、この夏、京都市京セラ美術館に集められました。
見所の多い展覧会ですが、まず注目の作品は冒頭の「序の舞」です。松園の代表作にして最高傑作と名高い絵画で、能楽の仕舞のごく静かな舞の様子を描いたもの。朱色の振袖の美しさと、今にも動き出さんとする女性の静かな力強さを感じます。
「扇を持つ指先までに込められた力強さと、女性の気品を感じますね。自身の一つの到達点を意識して描かれています」と後藤さん。
しかし、ここに到るまでの彼女の画家人生は決して平坦ではありませんでした。展覧会への出品も精力的に行なっていましたが、女性であることや若い才能への嫉妬から絵に墨を塗られたこともあったというのです。
「当時の画壇はまだまだ男性社会。人気画家になったあとも、生きづらさを感じていたようです」
変わりゆく時代の中で自身の作風に対して悩んだ時期もあったそうです。その頃に描かれたのが、「焰」で謡曲『葵上』を取材した作品です。『源氏物語』の光源氏の正妻・葵上への嫉妬から生き霊になってしまった六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ)をモチーフにしたもので、松園自身「なぜ、このような凄絶な作品を描いたのかわからない……」とのちに語っているほど。女性の内面性が最も強烈に表現された数少ない作品です。


長いスランプ期を脱した頃に描かれたとされるのが、今回初めて公開される「清少納言」です。発見された後もしばらく松園の作品と断定することが難しかった新発見の絵画です。
「松園は間隔を開けて、知られるだけでも4点の清少納言の絵を描いています。日本画というのは下絵を描いて本画を描くので、注文を受ければ似た絵を再び描くことがありますが、現存する4点の清少納言の下絵はすべて別々のものだと思われます」
他にも「楊貴妃」や「草紙洗小町(そうしあらいこまち)」など、偉人や能楽で活躍する女性を多く描いている松園。男性社会の中で強く生き、才能を発揮した女性に対して自身を重ねていたのかもしれないと後藤さんは言います。
最晩年の昭和23年に女性で初めて文化勲章を受章したことは遅すぎる評価とさえ論じられています。
生涯を通して日本女性の美を描き続けた上村松園。京都を代表する画家の生涯と全貌に迫る展覧会が、ゆかりの地で始まっています。



京都はもちろん日本を代表する美人画の巨匠・上村松園。その才能は京都の小さな葉茶屋の店先から始まりました。明治という新時代を迎え、移ろいゆく世の中でも古きよき日本人女性の美しさを、描き通した画家の初期作から代表作「序の舞」や目を引く話題作「焰」、初公開の「清少納言」など、その清らかで美しい絵の数々がゆかりの地である京都市京セラ美術館に集められています。松園の生涯を知れる大回顧展です。
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(文:新見麻由子 インタビュー写真:平谷舞)

取材・文=新見麻由子
にいみまゆこ●月刊『茶の間」編集部員。徳島県出身、歴史や文化、レトロなものに憧れて京都へ。休みの日は、散歩や自宅でお茶を片手に本を読みながらまったり過ごしたい。季節を感じる和菓子やお花に興味がでてきた今日この頃。