元女優・柾木良子さんの激動の人生! 挫折の末に見つけた天職とは?

現在、幅広い世代に京都の文化と着物の魅力を伝える活動を精力的に行なう柾木良子さん。2020年に全国のJR駅構内や車内を飾った「京の冬の旅」のポスターでのきりっとした美しさも印象的でした。さぞ華やかな人生を歩んで来られたかと思いきや、実は波瀾万丈だった!? 柾木さんに、大好きだというお茶との関わりや、お仕事の軌跡を伺います。

柾木良子さん
「お茶と着物って、似ていると思います。深く知れば視野が広がり、心が豊かになるから」と柾木さん。取材をしたのは8月。「掲載されるのは10月号だから、こっくりとした色味の着物にしようかとも考えましたが、今日の気分で艶のあるシルクの着物に」と柾木さん。10年ほど愛用している千鳥模様の青磁の湯呑に合せた帯締めのブルーも効いている。こういったコーディネートが着物の醍醐味。柾木さんの話を聞いていると、着物が身近に感じられ、知ることがより楽しくなる。

profile
まさきりょうこ/京都市生まれ。学生時代より染織を学ぶ。「ミス映画村」優勝をきっかけに、女優としてNHK大河ドラマをはじめ、TV、CMに多数出演。『美しいキモノ』(ハースト婦人画報社)レギュラーモデルとして活躍。現在、京都にて「きもの教室」を主宰。また、高校生や大学生に向けた授業を行なうほか、各地で文化フォーラムやイベントなどにも登壇。「京都ディスティネーションキャンペーン2020 JR『京の冬の旅』」ポスター出演。

京都生まれ、京都育ちの着物研究家……と聞けば、はんなりとした〝京女〟のイメージを思い浮かべる人も少なくないはず。「いえいえ、私は、どちらかというと三枚目〜(笑)。実家の仕事も、着物関係ではないんですよ」と、さらっとにこやかに答えてくれる柾木良子さん。凛とした佇まいと、この気さくな雰囲気のギャップに、取材チームも冒頭からグイッと惹きつけられます。

寄り道がお茶好きのルーツ?

とはいえ、やはり京都は、柾木さんにとって大きな要素。〝筋金入りのお茶好き〟は、京都だからこそ培われたのかも、と振り返ります。

「高校生のころから、学校帰りに寄り道するといったら甘味処でした。今だったらコーヒーショップに行くのかもしれませんが、私たちはお抹茶やお団子をいただきながら、おしゃべり。お小遣いが入ったら、『今日は、抹茶クリーム白玉あんみつスペシャルにする!』なんて、盛り上がって。そうしたお店では、たいてい湯呑に入ったほうじ茶がついてくるでしょう。それに慣れていたから、20代で東京に出たとき、甘味処が少なくて驚いたほどです」

今でも食事のときはもちろん、ちょっとのどが渇いたなと思ったら、3時の休憩にと、その都度お湯を沸かしてほうじ茶や煎茶を淹れるといいます。

着物の授業でお茶の話をすることも

「ペットボトルは、基本的に買いません。そうそう、高校や大学で着物の授業を行なうときの導入で、お茶の話もします」と柾木さん。

「かつて日常的に着られていた着物はいまや文化になってしまっています。便利さだけを優先すると……、という身近な例として挙げます。着物は高価でルールが多い、着方が分からず手間がかかると思っている学生さんたちに、実際に見て、触れて、よさを感じてもらうことを大切にしています。お茶も急須で淹れて飲むと味わい深いですよね。早くにいろんなことを知れば、視野が広がると思うんです」

この日のおやつは、飾らない感じで焼き餅に。「甘いものは、和・洋を問わず大好き」とのこと。
この日のおやつは、飾らない感じで焼き餅に。「甘いものは、和・洋を問わず大好き」とのこと。

夢を追って20代で東京へ。 女優やモデルとして活動する日々。

柾木さんの人生で大きな転機のひとつが、映画会社の「東映」が開催したコンテストでの優勝。短期大学在学中に軽い気持ちで応募したところ、若手女優の登竜門の「ミス映画村」に選ばれたのです。日本舞踊、茶道、三味線、殺陣(たて)、ボイストレーニング、ダンスなど、時代劇に出演できる女優になるための一通りの手ほどきを受け、数年後には、本格的な女優を夢見て、東京へ。

ただ、当初は京都出身や着物が着られることをアピールしていなかったそうです。

「今はほめられますが、和風の顔立ちや体形もコンプレックスでした」と、柾木さん。アイドルとしてCDデビューなども経験しますが、活躍の機会は訪れないまま20代後半にさしかかり、NHK大河ドラマに出演したことで、さらなる転機を迎えます。

右/「ミス映画村」の任期中は、時代劇の装束姿でさまざまな行事やイベントに出席するのも仕事の一環だったとか(なんと、保津川の急流下りの船に乗ったことも!)。左/女優デビューは「暴れん坊将軍」で町娘の役。時代劇での初々しい姿がかわいらしい。
右/「ミス映画村」の任期中は、時代劇の装束姿でさまざまな行事やイベントに出席するのも仕事の一環だったとか(なんと、保津川の急流下りの船に乗ったことも!)。左/女優デビューは「暴れん坊将軍」で町娘の役。時代劇での初々しい姿がかわいらしい。

私のいるところじゃない……大河ドラマ出演を機に女優を卒業

「それまで時代劇なら、自分はできる、と過信していたんですね。でも大河ドラマは俳優さんもすごいし、方言指導、所作指導などスタッフさんの人数も規模も、何もかも桁違い。ここは私のいるところじゃない、と何かストンと腑に落ちたんです」

女優を引退した柾木さんは、このころすでに、着物雑誌『美しいキモノ』のモデルとして活動していましたが、次第に着物そのものに興味が移っていったといいます。

「仕事で関わった一流の着付け師に師事したり、必死でした。そのうちに、もっと学びたい、もっと着物の素晴らしさをダイレクトに伝えたいとの思いが強くなり、京都に帰ることを決意しました」

写真家・藤井秀樹さんに撮影してもらった、東京でのモデル時代の一枚。
写真家・藤井秀樹さんに撮影してもらった、東京でのモデル時代の一枚。

学生に直接、着物の魅力を伝えられる今が楽しい。

こうして2000年に、着物研究家としてのキャリアをスタート。幅広い世代に京都の文化と着物の魅力を伝える活動を続けてきました。

「約20年前、女優として花開かないまま戻ってきた私をみんなどう思っているだろう、なんて長いこと悶々としていました。実は最近まで、当時の写真をあまり見たくないくらい。でも、気付いたことがあります」

近年、柾木さんは、若い世代に向けての着物文化の授業に力を入れており、2017年から同志社大学で受け持っている授業は、30倍もの応募がある人気の講義だといいます。

「うれしいことに、学生さんがみんな『先生、楽しい〜』って言ってくれるんです。1回90分の授業は、いわばステージのようなもの。教室に入った瞬間、どうしたら受講生全員の気持ちをキャッチすることができるか、常に意識しています。そこから、皆で考え、気付き、学生さんが成長していく現場はまさしくドラマのよう。その充実感といったら……女優だった経験が活きているなと、あのころを肯定できるようになりました」

学校に教えに行くときも、必ず着物。日常で着ている姿を見せることも大切にしている。
学校に教えに行くときも、必ず着物。日常で着ている姿を見せることも大切にしている。

そしてもうひとつ。美術工芸高校で染織を学び、魅力に触れた柾木さんは、当時から「大人になったら着物を着る人になりたい!」と言っていたのだとか。……これも、夢が叶っています。

「回り道に見えたことも、すべて運命に導かれていたのかもしれません。道はまだ半ばですが、私の居場所はここだと、ようやく分かってきたように思います」

モデルの経験を活かした着物のスタイリングと着こなしに、スタッフ一同惚れぼれ。ポージングの講師を務めることもあるそう。
モデルの経験を活かした着物のスタイリングと着こなしに、スタッフ一同惚れぼれ。ポージングの講師を務めることもあるそう。

おわりに

終始笑顔でたくさんのお話をしてくださった柾木さん。そのお人柄に、取材班一同、元気をいただきました。素敵な柾木さんの活動をもっと知りたい方は下記のホームページをご覧ください。

【HP】https://www.masakiryoko.com/

(写真 津久井珠美/ 文 市野亜由美)

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企画・構成=米村めぐみ
よねむらめぐみ●月刊『茶の間」編集部員。出社したらまずはお茶!仕事中はお茶ばかり飲んでいるといっても過言ではないほど、日本茶が好き。作家ものの湯呑など、うつわあつめが趣味。おいしい茶菓子にも目がありません。