薪で炊き、炭火で焼く。知る人ぞ知る入山豆腐店の豆腐がすごい!

京都の町なかで、おくどさん(かまど)で薪を炊き、昔ながらに豆腐をつくり続ける老舗があります。その名も「入山豆腐店」。日々豆腐と向き合う8代目入山貴之さんを尋ね、その胸にほとばしる「情熱」に迫りました。京都でおいしい豆腐を買いたい人、必見です!

入山豆腐店
産休中の姪御さんに代わってリヤカーを引くアルバイトの武井尚子さん(左)、右が入山さん。

入山豆腐店

【住所】京都市上京区椹木町通油小路北東角
【電話】075-241-2339
【HP】https://www.instagram.com/iriyama_tofu

昔ながらの豆腐づくりがこんなに大変だと思わなかった。

京都市内でも入山豆腐店だけのスタイルとは

午前11時、店先には炭火台につきっきりで焼き豆腐をつくる入山さんの姿があった。金串に刺した豆腐を炭火の上で返し、手際よく焼き目を付けていく。頭上の暖簾(のれん)には「創業文政年間」とある。「あくまで伝聞やけど……。唯一の確かなもんは『あれ』ぐらいかな」と、壁にかかった1909(明治42)年の全国生産品博覧会銀賞の賞状を指す。受賞者の名前は4代目、直次郎さん。ちなみに当代は8代目にあたる。

観光客にはわかりにくい場所にあり、店も決して大きくはない。しかし「知る人ぞ知る名店」として、週末ともなれば遠来の客が引きも切らない。そのきっかけをつくったのが、昭和50〜60年代に活躍した随筆家・大村しげさんだ。京都の文化について多くを書き残し、「おばんざい」という京ことばを全国に広めた彼女は、数少ない「薪(たきぎ)で大豆を炊く豆腐店」として、同店を繰り返し紹介した。当時はまだ、同様に昔のままのつくり方をする店が少なくとも4軒あったようだが、現在、京都市内でこのスタイルを守るのは入山豆腐店だけとなった。

入山豆腐店の豆腐

手探りで挑んだ伝統の豆腐づくり

何世代にもわたり暖簾を守ってきた老舗豆腐店。だが意外にも「老舗の暖簾」を意識せずに育ち、先代から豆腐屋になれと言われたこともないという。幼い頃から機械いじりが好きで、工業高校卒業後は一般企業に就職。システムエンジニアとして猛烈に忙しい日々を過ごしていた。そんな入山さんが実家に戻り、家業を継ぐと決めたのは、今から20年ほど前のこと。先代が認知症を発症したのがきっかけだった。

 「お客さんからの注文や必要な仕込みを忘れるなど、いろんなことが怪しくなってきたんです。僕自身、息つく間もないサラリーマン生活に限界を感じていたことや、当時『地方創生』が叫ばれていたタイミングとも重なって……地方で代々続いてきた小さな店を引き継ぐのもいいかなと思って」。

腹をくくった入山さんは、手つきがおぼつかない父をサポートしながら、見よう見まねで豆腐屋の仕事を手伝い始める。しかし「正直、こんなに大変だとは思いませんでした」。

入山豆腐店の豆腐

一から学び、納得できる味を模索して

働く父や母の背中を見て育ったとはいえ、実際にやるのと見るのとでは大違い。代々伝わる秘伝のレシピがあるわけでもなく、父親自身「長年の感覚」を頼りに作業をしていたため、つくり方を一から独習しなければならなかった。

 「組合の人に聞いたり、図書館で文献を調べたり。一番手こずったのはおくどさん(かまど)の扱い方。使いこなせるまで5年くらいかかりました。今でもたまに失敗します」

最適な温度と時間。きっちりした計量。レシピがないゆえに一から学び、納得できる味を模索した。戦前から伝わる道具を使い、昔ながらのつくり方を踏襲しているが、先代のつくる豆腐とはどこか違う「入山貴之の豆腐」をつくり上げていった。

入山豆腐店の豆腐

早過ぎる別れを乗り越え、仕事と向き合う

「もう少しいろいろ教えてもらいたかったけど」。先代はほどなく完全に仕事を離れ、入山さんの身辺にも大きな変化が訪れた。40歳を少し過ぎた頃、お客さんの紹介で人生の伴侶を迎えたのだ。妻の発案で、おぼろ豆腐やしぼりたての豆乳、豆腐を使ったお惣菜など、新たな商品が加わり、店は活気づいた。夫婦二人三脚で店を切り盛りし、「将来は自分の店を持ちたい」と夢を語る姪っ子も加わって、休日には3人でいろいろな店をリサーチしてまわった。ところが……「どこまで話したらええんかな」。人懐っこく、饒舌(じょうぜつ)な入山さんの口調が重くなった。最愛の妻に癌が見つかったのだ。あらゆる手を尽くしたが、闘病の甲斐もなく亡くなってしまった。2018年のことだった。

商品を積んだリヤカーで町内をまわる「引き売り」は、妻の闘病以来、途絶えてしまっていた。朝の4時に作業場に入り、かまどに火を入れ、大豆を炊き、袋で豆乳を濾し……とても、引き売りまで手がまわらなかった。しかし昔ながらのやり方を続けるからこそ、お客さんはおもしろがってくれる。機械化すれば商品の数も増やせるし、作業もずっと楽になる。けれど、どこにでもあるような豆腐を買いに、わざわざ来てくれるお客さんがいるだろうか。炭火の焼き豆腐、かまど焚きの豆乳、手押しのリヤカー。「今どき、そんな手間のかかることをする変わり者がいるの?」という驚きが、この店の値打ちではないか。そう考える入山さんには、やり方を変える気は毛頭なかった。

入山豆腐店

実直な作業を繰り返す日々を経て

そんな入山さんを見るに見かねて、手を上げてくれた人がいた。「私がリヤカーを引く」。亡き妻のかわいがっていた姪だった。先々代から使っている重たい鐘を鳴らしながら、週に3回リヤカーで町内を回る。引き売りをかって出ただけでなく、新たに豆乳ドーナツを考案し、製造も引き受けてくれた。もともとおしゃべりが好きで、お客さんとの会話を何より楽しみにしている入山さんだ。同じものを毎日買いに来る人、SNSでドーナツを見たという若者、誰にでも気さくに話しかけ、豆腐料理のレシピを惜しみなく伝授した。姪の助力を得、実直な作業を繰り返す日々が少しずつ心の喪失感を埋め、再び前を向くことができた。

「昔のまんまの豆腐屋として、できる限り店を続けていきたい」。今朝も扱いの難しいへんこ(頑固)なおくどさんから、勢いよく炎が上がる。

入山豆腐店

おわりに

日々豆腐と向き合い続ける入山貴之さんの胸に秘めた豆腐づくりへの熱い想いがひしひしと伝わってきました。京都を訪れた際は、入山さんのこだわりの味を食してみてはいかがでしょう。

(文/鈴木敦子 写真/木村有希)

planmake_maeda

企画・構成=前田尚規
まえだなおき●月刊『茶の間」編集部員。3児の父。編集部内でのお茶博士(決して日本茶インストラクターではない)。その薄い知識をひけらかし、ブイブイ言わしているとかいないとか。休日に子どもたちと戯れるのが唯一の楽しみ。