紅白歌合戦も手がけた演劇衣裳コーディネーターの丁寧な仕事とは?

時代に合せた着物のデザインや着こなしをアドバイスする演劇衣裳コーディネーターの中川喜照さんは、これまで日本を代表する役者や歌手などの衣裳も手がけてきました。87歳を迎えた今も現役で活躍する中川さんに、その胸に秘めた想いをお聞きしました。

時代衣裳は生きがいです。

時代衣裳変身スタジオ 時代や

【住所】京都市右京区嵯峨天龍寺立石町4-10
【電話】075-201-7832
【HP】http://jidaiya-kyoto.com/

帯の結びは丁寧に「魂を込める」。 心が乗り移り、着物が輝く。

87歳の今なお現役!

やわらかな手がすっと帯を広げる。相手を瞬時に目測し、長さを整え手早く結んでいく。ピンと伸びた背筋に、颯爽(さっそう)とした若さがみなぎる。

中川喜照さん。87歳。今も現役の演劇衣裳コーディネーターとして第一線で働く。時代に合せた着物のデザインや着こなしをアドバイスする仕事だ。

「着る人が心地よく、姿が映えるように帯を結びます。魂を込めれば、自分の心が着物に乗り移り、着物が輝くのです」

中川喜照さん

「丁寧にやりなさい」の言葉を胸に

中川さんの父は録音技師、兄は録画技師だった。その縁で、高校生のときに着付けのアルバイトをしたのが、この世界に入ったきっかけだ。もっとも最初は「男なのに着物をさわるなんて」と抵抗感もあった。しかも、忙しい撮影現場では怒号が飛び交う。

「嫌な思いをしたり、つらいこともたくさんありました。でもそれは自分が無知だから、自分が悪い。辛抱しようと肚(はら)を決めたのです」

当時は「男が一度その世界に足を踏み入れたら一生の仕事」。けっして弱音は吐くまい。それが中川さんの矜持(きょうじ)でもあった。

1955(昭和30)年、高校を卒業し映画制作会社で働いていた中川さんに時代劇の大スター・長谷川一夫さんから声がかかった。新たに長谷川一座の舞台『東宝歌舞伎』が始まり、人材を募っていたのだ。

「おつきの人がたくさんいて、私は末端の一人。丁稚奉公(でっちぼうこう)のように学ばせていただきました」

長谷川一夫さんからかけられた言葉を、中川さんは今も大切にしている。それは「丁寧にやりなさい」。帯や着物の扱いだけではない。芝居の端役のための衣裳選びも、中川さんは手を抜かなかった。芝居は、脇役を整えてこそ主役が映える。その結果、芝居全体がよくなると、中川さんは経験から学んでいた。

「下級侍の衣裳は袖口と襟、膝前が汚れる。新しい反物(たんもの)を薬品で染め、袖口や膝の部分を何度もこすり、油をつけるなど工夫を重ねました」

中川喜照さん

「丁寧で勉強熱心」が高じてNHK紅白の舞台を手がける

中川さんが一度の舞台で着付けるのは、のべ4〜50人分。舞台が終わる頃には汗びっしょりだ。そして家に帰れば歴史書をひもとき、かつての生活様式を読み解き、着物の時代考証にも没頭した。

「江戸時代は約260年あります。元禄文化と化政文化は、100年のへだたりがあります。当然、帯の結びなど、流行が異なるんです」

「丁寧で勉強熱心な衣裳方(いしょうかた)がいる」、そんな評判は口コミで伝わった。歌舞伎役者から時代劇に転向した大川橋蔵さん、俳優であり歌手としても知られる高田浩吉さん、日本を代表する歌手の美空ひばりさんらの衣裳も手がけるようになった。

1985(昭和60)年に独立。中川さんは高橋英樹さん、細川たかしさん、小林幸子さんらの歌と芝居のステージをはじめ、来る仕事すべてに丁寧に力を尽くしてきた。

中川さんの人生で手がけた、最大の舞台は、1999(平成11)年のNHK「紅白歌合戦」の小林幸子さんの衣裳だ。当時、エスカレートする豪華衣裳が話題を呼んでいた。

「その規模は衣裳というより大道具。小林さんが回りながら天に上る仕掛けを、着物の中に隠しておくんです。準備期間はたった2カ月、リハーサルができたのは前日だけ。本番は、祈る気持ちでした」

早変わりは大成功。大晦日の深夜に仕事が終わり、元旦の始発の新幹線で京都駅に戻ったときの青空は、脳裏に焼き付いている。

「雲ひとつない正月の空がきれいでした。あの経験は私の財産です」

中川喜照さん

着物の学びは尽きない。だから、おもしろい

1995(平成7)年に時代衣裳変身スタジオを開いた。「一般の人にも時代衣裳を着ることを通じて、親しみをもってもらいたい」という願いがあった。十二単衣(じゅうにひとえ)や藩主(はんしゅ)、花魁(おいらん)など、時代考証の行き届いた本格衣裳を体験できるとあって、文学や歴史ファンが訪れる。中川さんは花街に通いつめ、だらりの帯や襟の抜きなど、舞妓独特の着付けを学んだ。

「お客様から質問を受けるスタジオは、私の学びの場です。着物の歴史や文化は奥深く、わかっていないことも多い。まだ学び足りません」

中川さんにとって、時代衣裳の継承も大切な仕事だ。関東と関西で帯の巻き方が異なることが専門家のあいだでも知られていないと憂(うれ)える。

「侍文化の江戸の帯は左巻き、宮廷文化の京都では右巻きなのです。近年は左巻きが主流ですが、この違いは伝えないといけない」

今、中川さんの所蔵する衣裳は1000枚以上。ときに、展示に貸し出すこともあるほどだ。

「役者さんも一般の方も、衣裳をまとったご自分の姿を見て『かっこいい!』と感激してもらえるのが、うれしい。時代衣裳は人と人を結ぶもの。私にとって生きがいです」

徹する人は、帯を通じて、着物に魂を込める。これまでも、これからも、時代衣裳をひとすじに。中川さんの歩いてきた道は、後続者を優しく照らし出す。

『桃太郎侍』の舞台衣裳(左)と、悲劇のヒロイン『千姫』の舞台衣裳(右)
鬼を華麗に退治する『桃太郎侍』の舞台衣裳(左)と、悲劇のヒロイン『千姫』の舞台衣裳(右)。

おわりに

いかがでしたでしょうか。「時代衣裳は人と人を結ぶもの。私にとって生きがい」と話す中川さんのその眼差しに、徹する人としての確固たる信念、ほとばしる情熱を感じた瞬間でした。

(文/栗田京子 写真/木村有希)

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企画・構成=前田尚規
まえだなおき●月刊『茶の間」編集部員。3児の父。編集部内でのお茶博士(決して日本茶インストラクターではない)。その薄い知識をひけらかし、ブイブイ言わしているとかいないとか。休日に子どもたちと戯れるのが唯一の楽しみ。