400年前に京都で万博があった!?秀吉伝説の茶会の秘密に迫る!

伝説の茶会「北野大茶湯」を知っていますか?「学問の神様」として有名な北野天満宮で400年以上前、豊臣秀吉が一大文化行事を、文化的に貴重な見世物を並べて平和をアピールするように開催しました。その本質はまさに現代でいう万博! 今なお謎の多い伝説の「お茶のエンターテイメント」に迫ります。

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【教えてくれた人】
文教大学教育学部 茶道史研究者
中村修也先生

筑波大学第一学群人文学類卒業、同大学大学院歴史・人類学研究科を単位取得満期退学。京都市歴史資料館勤務を経て、1994年より文教大学教育学部助教授、教授。専門は日本古代史、茶道史。著書に『戦国茶の湯倶楽部 利休からたどる茶湯の人々』(大修館書店)、『利休切腹 豊臣政権と茶の湯』(洋泉社)、『秀吉の智略「北野大茶湯」大検証』(淡交社)、『千利休 切腹と晩年の真実』(朝日新聞社)など。

天下統一と平和を茶会でアピール!? 空前絶後の茶会が開催!

紅葉写真
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ときは天正15年(1587)10月1日、九州平定(へいてい)を終えて西日本の戦乱が収まった時期、豊臣秀吉は、今の北野天満宮がある「北野の松原」で一大茶会を催します。それが北野大茶湯です。「町人、百姓らも身分に関係なく参加してよい」と告知して、ひと月前から茶会のためだけに茶席の造営が始まりました。それは今に例えれば、万博さながらの一大文化行事だったとか。

「秀吉は、この2年前に天皇や皇族向けに茶会をし、この年の正月には大坂城で武将を集めて茶会をしています。北野大茶湯はいわばその第3弾で、都の庶民に向けた茶会でした。秀吉は茶会によって平和をアピールしたかったのでしょう」と中村修也先生が教えてくれました。

茶席はなんと500席以上! いざ、絵巻で茶会当日にタイムスリップ

「北野大茶湯図」(浮田一蕙筆天保14年〔1844〕 北野天満宮提供)
「北野大茶湯図」(浮田一蕙筆天保14年〔1844〕 北野天満宮提供)
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北野大茶湯の様子をイメージさせてくれるのが、江戸末期に描かれたこの想像図。北野社(今の北野天満宮)周辺の紅葉交じりの松原の中、垣根囲いの茶室からゴザの茶席まで、思い思いのしつらいが描かれます。

絵の上部「太閤様御茶室」とあるのは今でいう貴賓席。秀吉は特別待遇のVIP達と親しく話をしたのでしょうか。普段は静かな松原に、公家、僧侶、武士、町人らが行き来し、秀吉の前で恐縮したり、ウワサに聞いた黄金茶室に驚いたり、そんな様子も目に浮かびます。奇抜なしつらえの茶席で、ほうびをもらった町人もいました。

ところが、十日間の予定の大茶会は初日で終了。人出が思ったほどでなかったから中止したという推測もありますが、理由は謎のままです。それでも、現代に語り伝えられるほどの伝説の茶会。このあと御土居(おどい)の建設など京の町の改造が始まりますが、北野大茶湯は、まさに秀吉によるエポックメイキングな大イベントだったことは確かです。

天下人自らお茶を点てていた! お茶を愛する「茶人」としての秀吉

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天下統一を茶会の開催でアピールした秀吉。茶会は政治の道具ではありましたが、実は秀吉はプライベートでもお茶好きでした。宇治の茶園宛てに「今年の茶はできが悪い」と手紙を出すこともあるほど、お茶の味がわかる「茶人」だったのです。

千利休の茶で戦国の緊張感から癒されながら、秀吉は黄金茶室や高価な唐物道具を誇示しました。しかしそれは天下人としての表の顔。九州名護屋の戦陣や大坂城には「山里丸(やまざとまる)」という素朴な茶室をつくり楽しみました。いつ死ぬともわからない戦国時代、秀吉は里山風景を彷彿とさせる茶室で飲むお茶に心癒されていたのではないでしょうか。

京都を代表する家元が勢揃い 今と昔をつなぐ大茶湯ゆかりの行事!

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北野天満宮がお茶の聖地とされる理由は、毎年12月1日の「献茶祭」にあります。これは明治19年に、その頃衰退していた茶道の復興を願って行なわれた「北野大茶湯三百年記念献茶」をきっかけに始まりました。今も表千家・裏千家・武者小路千家・藪内家・久田家・堀内家の家元が毎年輪番で奉仕。これほど大規模な献茶祭を催す神社は日本でここだけです。

献茶祭当日は、北野大茶湯さながらに境内各所に茶席が設けられ、お茶券を買えば誰でも参加可能。花街・上七軒(かみしちけん)では、芸舞妓の点前でお茶が楽しめます。

これに先立ち、11月26日には御茶壷道中が行なわれます。山城六郷(木幡・宇治・菟道・伏見桃山・小倉・八幡・京都・山城)の生産者ら奉納、その碾茶が献茶祭に使われます。この行事が、お茶の聖地・北野天満宮では今も連綿と続いているのです。

おわりに・・・

政治的なパフォーマンスとしても、プライベートのときもお茶を愛した豊臣秀吉。彼が開催した伝説の茶会、北野大茶湯はいまだに多くの謎に包まれていますが、天下人の持つ文化的に貴重な見世物がならび、平和をアピールした茶会には、現代の万博に通じるものがあります。現代の茶人が敬意を払うもてなしの精神が今にも伝わっているのではないでしょうか。

(取材・文 中岡ひろみ/画像提供 北野天満宮)

 

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企画・構成=新見麻由子
にいみまゆこ●月刊『茶の間」編集部員。徳島県出身、歴史や文化、レトロなものに憧れて京都へ。休みの日や育児の傍らに、散歩や自宅でお茶を片手に本を読みながら過ごすのが趣味。季節を感じる和菓子やお花に癒される日々。