80歳の熟練の職人に聞いた! 大切にしている人生の哲学とは?

若い頃、車の塗装工として独立し、以来この道一筋の職人として生きてきた徳岡秋男さん。80歳を迎えた今なお現役で働き、仕事を中心に生活が回っているという徳岡さんに、人生100年時代を生きる知恵についてお話をお聞きしました。

80歳の熟練の職人に聞いた!

80歳、塗装工一筋の職人

早朝5時、人気のない工場で黙々と作業に打ち込む徳岡秋男さん。若い頃と同じようにはいかないが、体調や年齢を理由に仕事を休むことはほとんどない。1942年生まれ、80歳。中学卒業後に働きはじめ、やがて車の塗装工として独立。以来、この道一筋の職人として生きてきた。

傘寿(さんじゅ)と呼ばれる年齢となった今も隠居する気は毛頭なく、多くの人が嫌がる汚れ仕事もいとわない。その意欲の源泉を尋ねると、自嘲ぎみに「ほら、メシを食わなあかんから」と返ってきた。しかし、その言葉とは裏腹に、彼には揺るぎない「人生の哲学」があった。

80歳、塗装工一筋の職人

いくつになっても働き続ける理由

出身は自然豊かな京都市北部の静原。農家の6人きょうだいの末っ子として生まれ、5人いる兄や姉にかわいがられて育った。

本人曰く「とにかく金儲けがしたかった」秋男少年は、中学を卒業すると京都市内の鉄工所に就職。給金は忘れもしない4,980円。「あと20円足して5,000円にしてくれたらいいのに」。うどん一杯10円の時代である。初めての給料を手に、恨めしく思った。

翌年には倍の給料を稼ぐようになるが、独立心旺盛な彼は「鉄工所は、個人でやるには設備投資金が大きすぎる」と考え、自動車の修理業界に転職。いくつかの会社を経て塗装技能を習得し、30歳にして自身の工場を立ち上げた。

時は1960年代の高度経済成長期。開業後すぐにオイルショックが起きたのは誤算だったが、成長著しい業界だったこともあり、手堅く業績を伸ばしていった。許嫁(いいなずけ)との結婚、息子の誕生、そして時代は昭和から平成、令和へ─。家族が増え、時代は変わっても、職人として打ち込む仕事の内容は変わらなかった。ただ……「工場の跡継ぎ? そんなもん、おらん。今の時代、こんな汚れ仕事をやりたがる子はおらん。日本人なんかいないし、外国人でもやりたがらない。でも、車の塗装は誰かがやらないといけないだろう?」

話しながら徳岡さんの表情が少し曇ったように見えたが、不思議と悲壮感は感じられない。長年打ち込んできた仕事ではあるが、後継者の育成や工場を残すことに、徳岡さんは執着しない。

「徳岡さんにとって仕事とは何でしょう?」。齢80にして、いまだ仕事を手放さない心の内を尋ねてみると、明快な言葉が返ってきた。

「遊んでたら体を保てへんやろ? 体をすこやかに保つために仕事をするんや」
なんと清々しい言葉だろうか。

いくつになっても働き続ける理由

生きると働くは同義。よく働き、きれいに遊ぶ

徳岡さんにとって、生きることと働くことは同義だ。
「悠々自適の生活なんてロクなもんやない。年金もらってぶらぶらするのは僕の性に合わん」
そう笑い飛ばす徳岡さんの生活は、昔も今も仕事を中心にまわっている。

長年の実績から、塗装の仕事は途切れず次々と入ってくる。毎日暗いうちから仕事を始め、ところどころ痛む体をかばいながら、その日にやるべきことを淡々とこなす。現在、徳岡さんが手掛ける業務用車両の塗装は、自家用車のそれに比べて工賃がかなり安い。

「目も悪くなってきたし、繊細な仕上げが求められる自家用車の仕事は手に余る。今の自分には、工程がシンプルな、トラックや清掃車がちょうどいい」

体の衰えを受け入れたうえで、今の自分にできることをする。そんな冷静さがあってこそ、すこやかな仕事人でいられるのだろう。

すこやかさの秘訣はほかにもある。明るいうちに仕事を終えた徳岡さんは、人生の「B面」ともいえる夜の課外活動に向けしばし休息をとる。そして午後8時、自宅近くのスナックへとおもむろに足を向けるのだ。行きつけは3〜4軒。職場の先輩から酒の味を教わって以来、日々の飲酒と酒場めぐりがライフワークとなった。酒場での徳岡さんを知る人は、絶賛する。

「彼はどこでも人気者。誰にでも親切で、飲み方がきれい。粋(いき)っていうのかな。絵にかいたような紳士です」 65歳くらいまでは朝帰りも珍しくなかったが、今は遅くても午前2時には切り上げる。そして数時間後には、塗装を待つ車両の前に立つ。

生きると働くは同義

熟練工としての矜持(きょうじ)が人生を支えてくれる

徳岡さんは現在、それぞれ仕事を持つ息子2人との3人暮らし。母屋に息子たちが住み、離れを徳岡さんが一人で使う。家族の中心だった妻が8年前に他界してからは「生活リズムが違うから食事もばらばら。必要な時だけ助け合う」と、ほどよい距離感を保っている。

また、きょうだいの仲はよい。亡くなった兄もいるが、「いちばん上の姉は96歳。百姓をして野菜を売っているよ」と誇らしげだ。

長年連れ添った妻を亡くした後も、塞ぎ込むことなく、前向きに生きる原動力となっているもの……それはやはり、熟練工としての矜持と、彼を信頼して仕事を任せてくれる人たちの存在だろう。

驚くことに、徳岡さんは病み上がりの身だ。少し前に手術を受け、取材日のわずか一週間前に退院したばかりだが、とてもそんな風には見えない。早々と仕事に復帰し、スナック通いも元気に再開。「仕事が体をすこやかに保つ」という信念があるからこそ、早く仕事に戻りたかったのだろう。そして見事にそれを証明してみせてくれた。

ひとしきり話したあと、徳岡さんは仕事に戻った。慣れた手つきでスプレーをかける。マスキングしたテープをていねいに剥がしていくと、ピカピカのエンブレムが現れた。

「どの工程も難しくないよ。誰にだってできる仕事だよ」。高い技術をひけらかすことはしない。中古のトラックは徳岡さんの手を経て再生され、また街を走り出すのだ。

自立して仕事を持ち、得たお金で人生を楽しむ。そのために欠かせないのが健康であり、健康であるために仕事をする。
「体をすこやかに保つために仕事をするんや」

徹する人の人生哲学は、人生100年時代を生きる私たちの胸に、まっすぐ届く。

塗装工としての矜持

おわりに

いかがでしたでしょうか。昔も今も仕事を中心に回っているという徳岡さんの生活。「体をすこやかに保つために仕事をする」と話す徳岡さんのその姿から、徹する人の人生の哲学に触れることができました。

(文/鈴木敦子 写真/木村由希)

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企画・構成=前田尚規
まえだなおき●月刊『茶の間」編集部員。3児の父。編集部内でのお茶博士(決して日本茶インストラクターではない)。その薄い知識をひけらかし、ブイブイ言わしているとかいないとか。休日に子どもたちと戯れるのが唯一の楽しみ。