美人に下着「次はふんどし」 日文研・井上章一氏の研究がおもしろい

『京都ぎらい』(朝日新聞出版)をはじめ、鋭い京都考察で知られる、国際日本文化研究センター(日文研)の所長・井上章一さん。美人や下着といった研究テーマのユニークさで知られますが、かつては漫画家を志望したこともあったそう。その独特なアイデアの源をお聞きしました。

日文研があるのは、京都市西京区の閑静な桂坂エリア。所長室からテラスに出ると、広々とあたりを見渡せる。
日文研があるのは、京都市西京区の閑静な桂坂エリア。所長室からテラスに出ると、広々とあたりを見渡せる。

(いのうえ・しょういち)昭和30年(1955)京都府生まれ。京都大学工学部建築学科卒業、同大学院修士課程修了。京都大学人文科学研究所助手を経て、1987年に国際日本文化研究センター助教授に。2020年同センター所長に就任。『伊勢神宮 魅惑の日本建築』『日本に古代はあったのか』『パンツが見える。 — 羞恥心の現代史』など著書多数。

高校生の頃の夢は実は漫画家だった!? その意外な経歴とは

——今日は月刊『茶の間』のインタビューをお受けいただきありがとうございます。

私は宇治在住なので、普段、家ではいろんな煎茶をいただいています。夕食のあとはいつもお茶ですねえ。もっとも、お茶の銘柄について、あまり私はくわしくないんです。おいしくいただければ、それでいい、という感じでしょうか。お茶の雑誌が取材に来てくださったのに、カッコいいことが言えずにすみません。

——とんでもありません、ありがとうございます。はじめに、「国際日本文化研究センター」(略称:日文研)についてご紹介いただけますか。

日文研は、昭和62年(1987)に設立された、日本文化を国際的な視野で、学際的かつ総合的に研究していこうとする研究機関です。私は創立当初から勤めています。

——昔から日本文化を研究されるつもりでしたか。

実は大学院までは理系で、建築を学んでいました。でも、美術が好きで絵を描ける人になりたいという想いの延長線上で選んだ進路です。高校生の頃、漫画家の魔夜峰央(まやみねお)さんが新人漫画賞を獲られたのに憧れて、「よし自分も!」と傲慢不遜にもケント紙を買ったこともあります。とはいえ漫画家はおろか、美術系大学への進学にも親が猛反対。得意科目の数学と、自分の絵心との両方を満たせる建築学科を選びました。

——大学院時代に文系に方向転換されたのは?

現代建築がおもしろくて勉強していました。でも、ヨーロッパに建築を見に行ったことが転機になりました。僕が好きになった街、フィレンツェやヴェネツィアに現代建築って、ひとつもないんです。ほとんどの建物が築300年や400年。現代建築をおもしろいと思った感性を、自分は間違いなくもっているんだけれど、ヨーロッパの街並みのほうを私は美しいと思ってしまった。「これはとても太刀打ちできない」という直感がありました。それがきっかけで、大学院時代に文系に転向しました。

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美人、下着……自分の興味を突き詰めたユニークな研究テーマ

——一大決心ですね。

はい。歴史を学ぶ学生は、18歳くらいから古文書を読むトレーニングを積んでいるからかなわない。遅れて文系になった自分には素朴な好奇心があるのが強み。それに寄り掛かろうじゃないかと決めました。

——なるほど、そのときから文系に転向し、現在につながるんですね。

まず、25歳のときに、京都大学人文科学研究所の助手として採用されたんです。日本の近代芸術分野での公募で、私以外の応募者は全員、文系でした。毛色の変わったメンバーを、と選んでもらえたのではと推測します。こうして、このポストがあったおかげで、思いのままに研究をできていると感じるところはあります。

——井上先生はユニークな研究で有名でいらっしゃいます。

たとえば、美人が時代によってどう語られてきたかを調べた「美人論」、下着をめぐる羞恥心が時代によってどう変化してきたかの考察といった内容は、興味本位と軽視されがちです。でも、それを研究テーマにできるのは、研究所に在籍するという立場があってこそです。

——たしかに、普通の人が思いつかないテーマに、周辺から迫っておられて、興味深いです。

ああ、すでに、それを「周辺」といわれるのに、私は釈然としない部分があるのです。学術分類や図書分類では、人の美醜をとやかく言うことや、下着の研究などは主流ではないかもしれませんが、でも、なにが主流でなにが傍流であると、誰が決めたのでしょうか?

——失礼しました。

いえ、もちろん大学で「○○学部○○学科」に分かれて学ぶ学生さんが、私が追究しているようなテーマの研究をしようにも、やさしい先生から「君、それでは卒論にならないよ」と指導を受けるでしょう。現在の学問を取り巻く状況は理解します。だから、若い人に、自分と同じように歩めとは軽々しくは言えないです。

「私も長年、売文業を続けているおかげで、言葉を積み上げる職人技のようなもので、話を盛っている部分が自分にないとは言い切れません(笑)」と井上さん。お話のおもしろさもさることながら、チャーミングな語り口に魅了されて、時間があっという間に過ぎていく。
「私も長年、売文業を続けているおかげで、言葉を積み上げる職人技のようなもので、話を盛っている部分が自分にないとは言い切れません(笑)」と井上さん。お話のおもしろさもさることながら、チャーミングな語り口に魅了されて、時間があっという間に過ぎていく。

「へぇ」、「ほぉ」、「これは知らんかった」。素朴な好奇心が研究の原点

——井上先生は道なき道を行く、孤高の研究者でいらっしゃる。

そうですね。とはいえ、さみしいところもありますよ。私の前に道はないので、私が切りひらくんだけれども、私の後にも道がないという状況です。誰も通らなければ、けもの道にもならない。それでも、ともかく私の場合は本を読んだときにいちばん心を揺さぶられるのは、「へぇ」とか「ほぉ」「これは知らんかった」という想いが原点にあるんですね。そこから研究が始まっていきます。あまり細かなところは記憶に残らない。また、どこかの学問体系に属していると、調べ方のマニュアルもできています。「次はこれを読めばいいのか」とか、現時点での研究の臨界点も見えます。その中で大なり小なり、オリジナリティは出せると思います。でも、起点が素朴な好奇心という研究は、調べ方のマニュアルができていない。そのぶん、自分自身の発見という喜びも大きいんじゃないかなと感じます。ただ、これは、ある意味、現代の学問における業績主義には逆らっている、といえるかもしれません。

——井上先生のとらわれない、自由な着眼点、一般の読者の方々からも驚かれるようにお見受けしております。京都の日文研におられることとも関連があるのでしょうか。

それはおおいに影響しています。日文研には海外の研究者を多く招いているのですが、彼らは日本でのトレーニングを受けていないぶん、比較するとオープンマインドなことが多いですね。少し思い出話をすると、一九八七年に、私は京都の繁華街で「ケンタッキー・フライド・チキン」の店頭でカーネル・サンダースの人形とともに記念写真を撮るアメリカ人観光客をみて、不思議に思いました。当時、日文研に居たアメリカ人の研究者に、疑問をぶつけました。

井上さんがこれまでに著した、幅広いジャンルのユニークな書籍の数々。
井上さんがこれまでに著した、幅広いジャンルのユニークな書籍の数々。

今追いかけているのは、「ふんどし」です

——確かに不思議です。

すると彼が言うには、「創業者であるカーネル・サンダースは大統領並みに人気がある。だけど、アメリカの店であんな人形が置いてあるのを見たことがない。カーネル・サンダースの人形には日本文化のエッセンスがあると思う」と。そして、「井上さん、それはおもしろい着眼点だから、研究してみるといいよ」と、彼は励ましてくれたんです。たぶん日本の研究者だったら、「そんなの論文にならないから、やめとけ」といわれたに違いないと思います。

——貴重な経験ですね。

こうした、分野の枠組みにとらわれていない外国人研究者の視点は、日本国内の日本文化研究を、よりゆたかにする可能性が、ひそんでいると感じます。私も彼らから多くのことを学んできました。

——井上先生の研究の軽やかさの秘密の一端を知った気がします。ちなみに今は、何にご興味があるのでしょうか。

ここしばらく追いかけているのは「ふんどし」です。

——ふんどし、ですか!?

1950年ごろの古い写真を見ていて、水泳をする子どもたちのうち、男の子はふんどしをしめ、女の子はスクール水着を着ているのに気づいたんです。というのも日本人は、男性が先に軍隊で洋服を着始めたのです。男性が軍服を着て靴を履き始めた時代に、女性は着物で生活している人が多かった。それなのに、この逆転現象は何なのか? この考察をもとに執筆をしていて、春には新刊が出る予定です。

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老後、自分の好奇心を追いかけるのは、最高の娯楽です

——ふんどしについて深く考えてみたことはありませんでした。

今でも「ふんどしを締め直す」といった、言い回しを使ったりしますね。軍隊は大和魂を重んじる場ですから、「もしかして彼らは本気でふんどしに魂が宿ると考えていたのではないか」と仮説を立てています。さらにふんどしについて調べていくと、南太平洋のミクロネシア、ポリネシア辺りの人たちの戦前の写真では、男性はふんどし、女性は腰巻きを着用しています。でも、中国や朝鮮にはふんどしはありません。日本は間違いなく、中国や朝鮮との文化交流のほうが多かったのに、ふんどしだけは環太平洋圏。ということは、「我々はひょっとしたら、環太平洋方面との共通性をもっているのでは? 大陸から受けた影響はわりと表面的な部分であって、ふんどしをはじめとする深い部分では、もっと違う文化の広がりをもっているんじゃないのかな?」などと思考が広がっていくわけです。

——井上先生の、違和感から思考を発展させていく手法には、私たち一般人の好奇心も掻き立てられます。

うれしいですね。研究というものは研究者だけのものではありません。どなたも、思い起こせばご自身なりに、身の回りにいろいろ小さな発見をもっていらっしゃることがあると想像します。でも、仕事や家庭で忙しい人は多くの場合、「そんなこと」と興味を打ち消してしまいがちです。先程申し上げたように、「へぇ」とか「ほぉ」との出合いは、私は人生の宝物だと思います。特にお仕事をリタイアした方々であれば、これまで忙しくてもてなかった研究する時間と心のゆとりをつくれるのではないでしょうか。もっとも、研究というと大仰に聞こえてしまうかもしれません。小さなことでいい、自分が「ここがおもしろい」という興味を見つけて、真剣に向き合い調べていかれてはどうでしょう。それは人生の最高の娯楽になるし、おすすめですよ。

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おわりに

作家、研究者、日文研所長とさまざまな顔を持つ井上章一さん。その研究内容のユニークさに驚きました。ふと見過ごしてしまいそうなところに、大きな発見は隠されているのかも知れません ね。

(文 市野亜由美/写真 杉本幸輔)

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企画・構成=楠石千晶
くすいしちあき●月刊『茶の間』編集部員。梅干しとみかんがおいしい和歌山県出身。幼少期から梅干茶漬けをこよなく愛す。そのおともにはアイドルと深海魚があれば
言うことなし。