京都三大祭りの一つ、時代祭には、多くの名の知れた歴史上の人物が登場します。今回は、坂本龍馬、吉野太夫、近衞忠煕、石田三成、淀君、紫式部、清少納言、和気広虫にフォーカスし、衣裳を徹底解説!衣裳に注目すれば、彼らについてより深く知ることができるでしょう。

歴史絵巻から飛び出した、豪華絢爛な時代装束の行列!
どこまでも澄み渡る秋の空に、祭の鼓笛の音が鳴り響きます。葵祭、祇園祭と並び、京都三大祭の一つに数えられる「時代祭」。毎年、10月22日に行なわれていますが、今年は天皇陛下の即位の儀式の日にあたり、平安神宮の祭神が天皇家に由来があるため、26日に変わるとあって、例年以上に注目を集めています。
時代祭は、平安神宮の遷都1100年を祝うために、明治28年に始まりました。その見どころは、なんといっても時代風俗行列。明治維新から延暦時代と歴史をさかのぼって、きらびやかな衣裳を身にまとった行列が、京都の街を練り歩きます。
総勢約2000人にも及ぶ行列の一人ひとりの衣裳は綿密に時代考証されており、各時代を忠実に再現しています。歴史絵巻さながらの衣裳の特長を、「時代衣裳◉なかがわ」の中川喜照さんに教えていただきました。それぞれの時代や歴史上の人物の衣裳の見どころを知って、時代祭をもっと楽しみましょう。


中川喜照さん
「時代衣裳◉なかがわ」代表。演劇衣裳コーディネーター。映画制作会社にて演劇・舞台衣裳美術制作の担当を経て独立。日本服飾文化、着装の研究を行ない、国内外のフォーラムや行事で歴史衣裳の着付を担当する。嵐山で時代衣裳変身スタジオ「時代や」を営む。

01.新たな時代の幕開けへ 京都ゆかりの偉人の正装
01.新たな時代の幕開けへ 京都ゆかりの偉人の正装
【明治維新・江戸時代】
まずは、日本の転換期である新時代・明治の礎を築いた「維新勤王隊列」。続いて独自の文化が栄えた江戸時代からは、きらびやかな「江戸時代婦人列」が登場します。
坂本龍馬の黒紋付は現代に通じる正装!
行列の序盤「維新志士列」で現れるのは、近代日本の幕開けに大きな功績を残した坂本龍馬。その装束は、有名な肖像写真で龍馬が着ている正装の黒紋付です。実は当時の正装は黒色とは限りませんでした。正装に黒色、というのは文明開化によって外国からもたらされたもの。未来を見据えていた龍馬ならではです。


右下/銃を忍ばせていた逸話が有名だが、腰に下げた武士の誇り・刀にも注目を。
太夫はファッションリーダー!打掛 をまとった2代目 ー吉野太夫ー
京都の花街でトップに君臨し、才色兼備で、人々の憧れの的だった吉野太夫が登場です。大柄の艶やかな打掛は、当時の流行の最先端でした。現在、帯は背中側に結び目がきますが、元々は前で結ぶものでした。農作業など労働の邪魔になるために後ろに回したと考えられていて、太夫の前帯は労働をしない優雅の表れともいえます。


右下/帯の発達以前のため、細い帯を締めている。
凛々しい束帯の後ろに伸びる位の表れに注目! − 近衞忠煕 −
江戸後期に活躍した公家で、篤姫(あつひめ)の養父で知られる近衛忠煕が身に纏うのは束帯です。束帯とは平安時代末期以降の公家の男性の正装のこと。袖の膨らみがまるで鳩のおなかのように膨らんでいるのが美しいとされています。厚手の生地にしっかり糊をきかせた姿で「強装束(こわしょうぞく)」ともいいます。


左下/後ろに伸びる「裾(きょ)」。位の高い人ほど長く、大臣は七尺(約2m)あったとか。
02.群雄割拠 の戦乱の世 時代に翻弄された2人の晴れ着
02.群雄割拠 の戦乱の世 時代に翻弄された2人の晴れ着
【安土桃山時代】
天下分け目の戦国の世、行列に現れるのは織田信長や秀吉たち武人。上洛した際の豪華な様子で街を闊歩します。偉人から市井の人まで職業婦人が練り歩く「中世婦人列」も魅力です。
武士の誇りを提げた美しく特別な装束 − 石田三成 −
関ヶ原の戦いで敗軍の将だった石田三成。悲劇の大名も行列では晴れやかな装いで登場です。彼が身に纏うのは直衣(のうし)と呼ばれるもので、貴族・公族の平常服にあたります。通常、大名が直衣を着ることはありませんが、特別な儀式のときのみに着衣を許された装束なのです。


悲劇のヒロインが身につけるのは艶やかな打掛 − 淀君 −
天下人・豊臣秀吉の側室(そくしつ)で、大坂夏の陣で自害においこまれた淀君が着ているのは、きらびやかな唐織(からおり)の打掛です。元々は中国からの輸入品でしたが、室町時代末期頃から大阪の堺や京都の西陣でも織られるように。色糸に金銀を交えて絵文様を織っています。天下人の妻ならではの贅を尽くした豪華な着物です。


右下/見惚れるほど美しい織に当時の職人の技が光る。
03.千年の都の王朝栄華のとき 文学史に名を刻む才女の衣裳
03.千年の都の王朝栄華のとき 文学史に名を刻む才女の衣裳
【藤原時代】
王朝文化が栄え、京都がもっとも華やいだ頃、全盛期の藤原氏率いる「藤原公卿参朝列」に続いて「平安時代婦人列」が登場。女性の装束が大きく変化した華やかな時代です。
紫式部は準正装、清少納言は正装、衣装に表れる女の戦い!

日本文学の金字塔『源氏物語』の作者・紫式部が纏っているのは、小袿(こうちき)という褻(ケ)の装束。それに対して手前の清少納言は晴(ハレ)の装束です。これは位の高い人は低い人の前でもラフな格好で過ごすため。ただ、彼女たちに位の違いはありません。才女同士、比べられがちですが、実は活躍した時期が違います。しかし、後輩にあたる紫式部は清少納言をライバル視していたとか。相手より上位に、そんな女のプライドが衣裳に表れているのかもしれません。



日本最古の随筆『枕草子』の筆者である清少納言が着ているのは、平安時代の女官の正装である十二単。実際に十二枚重ねているわけではなく、決まった枚数もなく「十二分に着ている」という意味で江戸時代になってから名付けられました。季節ごとの色をグラデーションで表した「襲(かさ)ねの色目」が美しく見どころです。



04.新元号の由来・万葉の時代 服飾文化の原点をみる
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【延暦時代】
「平安時代婦人列」に続き登場するのは、行列の大将・坂上田村麻呂率いる「延暦武官行進列」、「延暦文官参朝列」です。平城京から京都の長岡京に都が移った時代で、中国の影響を色濃く残しています。
大陸文化の影響を感じる京のはじまり − 和気広虫 −
延暦時代の女官で、和気清麻呂(きよまろ)の姉、孤児院の起源を築いた和気広虫。彼女が着ているのは朝服(ちょうふく)という朝廷に出廷するときに着る装束です。中国・唐の影響が大きいですが、よく見ると細い帯を前で結び、「上裾(うわも)」という十二単の「裳」の原型となるスカートのようなものを身につけています。立ったまま行なう儀式が多かったため、立った姿の映える衣裳が主流でした。


右下/美しいストールのような 「比礼(ひれ)」は平安時代初期までの主流。帯の細さにも注目。
時代衣裳に注目した時代祭の観賞方法、いかがだったでしょうか。この記事をじっくり読んで出かければ、ただ眺めているだけとは違う、時代祭を堪能できます。歴史と共存する街・京都の秋をよりディープに楽しみましょう!
(行列写真 山中 茂/衣装写真 福尾行洋)
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取材・文=新見麻由子
にいみまゆこ●月刊『茶の間」編集部員。徳島県出身、歴史や文化、レトロなものに憧れて京都へ。休みの日は、散歩や自宅でお茶を片手に本を読みながらまったり過ごしたい。季節を感じる和菓子やお花に興味がでてきた今日この頃。