令和元年(2019)、世界遺産登録が決定した大阪の百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群。この決定を機に、古墳に親しみたいという人が増えています。実は、京都にも素晴らしい古墳がいっぱい! 次の京都旅行では、古墳巡りを楽しんでみませんか?
2019年、百舌鳥・古市古墳群が世界遺産に!
百舌鳥・古市古墳群は堺市、藤井寺市、羽曳野市(はびきのし)の3市にまたがる広大な古墳群で、89基の古墳が現存しています。仁徳天皇陵古墳をはじめとする巨大な古墳や大小の個性ある古墳が点在し、見て、登って、巡って、また古墳のある町の観光も含めて、さまざまな楽しみ方ができます。
4世紀後半から6世紀前半までの間に次々と築造された古墳は謎めいていて、解明されていないことも多いのですが、古代の人々が築きあげた確かな証として、1600年以上の間、存在してきました。
世界遺産登録をきっかけに古墳に親しみ、素晴らしい私たちの遺産に触れてみてはいかがでしょうか。また、百舌鳥・古市古墳群だけでなく、古墳は全国に広がっています。身近な地域の古墳巡りもぜひ楽しんでみてください。
そもそも古墳ってなあに?
3世紀半ば〜7世紀にかけて日本列島で盛んに築造された、土を高く盛り上げた墳丘(ふんきゅう)を持つお墓です。
まず古墳を築造する場所を決め、その周りの土を掘って積み上げて造り、斜面には葺石(ふきいし)と呼ばれる石を敷き詰めました。
巨大な古墳の築造は、大陸から来た使者などに権力の象徴として力を誇示する目的もあったといわれています。
どんな形があるの?
仁徳天皇陵古墳をはじめとする「前方後円墳」、前方後円墳より前方部が短い「帆立貝形古墳」、丸い円墳、四角い方墳など、バラエティに富んだ形があります。被葬者の身分によって、形に差があり、前方後円墳が最高位の墳形とされています。サイズも直径10メートルほどの小さな円墳から、墳丘長400メートルを超える巨大な前方後円墳までさまざまな古墳があります。
【古墳の楽しみ方1】実際に訪ねてみよう
まずは古墳群を訪ねて、自由に古墳を巡ってみましょう。
徒歩でゆっくり巡るもよし、レンタサイクルで効率よく巡るのもよし。
各古墳群では、最寄駅や観光案内所に古墳マップが設置されており、当時の様子やスタンプラリーを楽しめるアプリなどもあるので、活用するとよいでしょう。
【古墳の楽しみ方2】イメージや想像をふくらませよう
百舌鳥・古市古墳群が築造された時代には、文字の記録がほとんどありません。
そのため、詳細がわからず、古墳に関する学説も諸説あります。古墳を知るほどに謎が深まるばかりですが、それならばその謎を逆手にとって、自分なりの想像の世界で遊ぶことも可能です。
誰が眠っていたのか? 人やものの行き来を含めて、いろいろな角度から自由にイメージしていくと、古墳は生き生きとした表情を見せてくれるようになります。古墳自体のキャラクターを考えるのも楽しさ倍増になりますよ。
【古墳の楽しみ方3】四季を味わおう
古墳は何度も訪ねると、新しい発見があります。
季節や時間帯でその風景もさまざまに変化します。
春の桜、夏の夕暮れ、秋の紅葉、冬の雪景色など、四季折々の古墳の姿を愛でてみましょう。
【古墳の楽しみ方4】マナーを守ろう
古墳は長らく地域の人たちと共存してきました。
古墳の周囲には住宅地も多いため、見学の際は大声でおしゃべりしたり、ゴミを捨てたりするなど、近隣の住民の皆さんに迷惑をかけないようご注意を。
マナーを守って、気持ちよく古墳巡りを楽しんでください。
京都にもあるんです! 個性的な古墳が。
古墳時代、ヤマト王権が成立する頃から、百舌鳥・古市古墳群をはじめ、全国に約20万基もの古墳が築造されたといわれています。京都もその例外ではなく、古墳群が残っています。
京都盆地の北西部にある向日(むこう)丘陵、ここに3世紀の頃から6世紀までの間に前方後円墳をはじめとする古墳が築かれ始めました。それが乙訓古墳群です。向日市、長岡京市、大山崎町、京都市の一部にまたがっていて、当時は300基もの古墳がありましたが、現在は13基の古墳が現存しています。そこで、京都大学で古墳と古代の人骨の研究をしている橋本裕子さんに、乙訓古墳群の中の向日市エリアを案内してもらいました。
乙訓古墳群・向日エリアで古墳散策!
「乙訓古墳群内の向日市エリアには、5基の古墳があります。阪急電鉄東向日駅を起点に、西向日駅までの間の山手側をゆっくり散策しながら巡ってみましょう」
橋本さんおすすめの物集女車塚(もずめくるまづか)古墳は、緑に覆われて、ポコポコとどこか愛らしい雰囲気。
内部に立派な横穴式石室があり、毎年、五月末頃に一般公開されます。今回、特別に石室内に入らせてもらうと、内部は美しい石積みで、石室奥には石棺が残されています。
「立派な石室の構造や馬具やガラス製の装飾品などの副葬品から、ここに埋葬された人は大王と縁が深い人物と考えられています」
案内人/京都大学 博士研究員
橋本裕子さん
【物集女車塚古墳】
古墳時代後期(6世紀中頃)の前方後円墳で、墳丘長は約46メートル。淳和天皇の棺を運んだ車を納めた地という伝承が、「車塚」の名の由来という。埋葬施設の「横穴式石室」が残っていて、毎年、内部が一般公開されている。石室奥に「組合せ式家型石棺」が現存し、また石室の床には水はけをよくするための施設が造られていて、当時の土木技術の高さがわかる。
この古墳から住宅地の坂道を登って、小さな円墳の南条古墳を見て山の竹林へ。
【南条古墳】
向日市立第2向陽小学校の西側にある5世紀中頃に築造された直径約23.5メートルの円墳。墳丘に葺石が施され、埴輪が並べられていた。墓地内にあるのでマナーを守って静かに見学しよう。
気持ちのよい散策路「竹の径」を歩いていると、いきなり寺戸大塚古墳が現れます。
【竹の径】
風がおこす笹音や木もれ日を楽しむ「癒しの散策路」として親しまれている向日市の「竹の径」。現在、総延長は約1,800メートル。道の両脇に立つ「竹穂垣」、「古墳垣」、「かぐや垣」「来迎寺垣」「深田垣」など計8種類の美しい竹垣が並び、目を楽しませてくれる。
ひっそりと佇む姿は、武人のようなきりりとした風情があります。
【寺戸大塚古墳】
竹林が続く竹の径にある4世紀前半の前方後円墳で、墳丘長は約98メートル。埋葬施設は後円部と前方部から一室ずつ発見されている。斜面に葺石(古墳の表面に石を積み上げたもの)が施されており、テラスといわれる段築に埴輪が大量に並べられていた。
「この古墳は、4世紀前半の古い時代の前方後円墳で副葬品の鏡や勾玉などの装身具、鉄刀や剣などから、相当、地位の高い人物だったと考えられます。この竹林は区画ごとにユニークな竹垣がつくられていて、ここには古墳をイメージしたアーチ状の“古墳垣”という竹垣が設えられているんですよ」
竹林を抜けて、別の住宅地へ。小さな公園に寄り添う小山? と思いきや、ここもなんと古墳! 五塚原古墳は向日市内でもっとも古い時代の古墳といわれています。
【五塚原古墳】
3世紀後半の前方後円墳で、墳丘長約91メートル。前方部はバチ形で、箸墓古墳(奈良県桜井市)と共通の構造が確認されており、最古級の前方後円墳と考えられている。裏手の「はり湖池」からよく見える。くれる。
ラストに訪れた元稲荷古墳は、勝山公園という公園内にあって、子どもたちの声が楽しげに響いています。このあたりは、ちょうど高台の住宅地になっていて、遠く、淀川と桂川が接するあたりまで見渡すことができます。
【元稲荷古墳】
向日神社北側の勝山公園内にある3世紀末頃の古墳。珍しい前方後方墳で墳丘長は約94メートル。墳頂には以前、建てられた水道局の施設が残っていて、墳丘が大きく削られている。しかし墳丘に登ることができるので90メートル級の古墳の大きさを体感できる。墳丘上の大きな板石は、石室の天井石ではないかといわれている。
「昔、この辺りを治めた首長たちも、丘陵の上からこの景色を眺めたのかも、と想像が膨らみます」と橋本さんは話します。
古代と今が繋がる不思議な場所。
古墳はまさに、謎めいた歴史ロマンへの入り口なのかもしれません。
おわりに……
名所旧跡の多い京都ですが、まさか古墳もこんなにあったなんて!
またひとつ、京都旅の楽しみが増えましたね。
心地よい季節には、ハイキング気分で京都の古墳を巡って、古代に想いを馳せてみませんか?
(取材・文:郡麻江)
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企画・構成=大村沙耶
おおむらさや●月刊『茶の間」編集部員。福岡県北九州市出身。学生時代は剣道に打ち込み、京都に住み始めてから茶道と着付けを習い始める。ミーハーだけど、伝統文化と自然を愛する超ポジティブ人間。